カズマの一期一映日記

映画の感想と雑談

インターステラー

 

 

第182回目は「インターステラー 」です。

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2014年のアメリカのSF映画です。

 


以降ネタバレ注意です。

 

 

 

 


ほぼ1ヶ月ぶりの更新となりましたが、皆さんお元気ですか?

 


何かと忙しくなって日記を書けませんでしたが、映画はボチボチ観ていました。

 


最近では比較的新しい「TENET」を鑑賞したのですが、その前に「インターステラー 」について語っておかなければならないと思いました。

 


「TENET」と「インターステラー 」はクリストファー・ノーランが監督をしています。

 


どちらも難しい物理学が視覚化された作品と言って良いと思います。

 


正直なところ、私は物理はチンプンカンプンです。

 


科学や相対性理論は学校ではなく映画で学んだ知識しか持ち合わせていません。

 


なので厳密に映画を理解出来ているかは解りません。

 


ですが雰囲気で、もの凄い科学考証のもとのに制作された事は解ります。

 


結構難しい話なのですが、かなり親切に説明してくれるので、安心して観ることができます。

 


なので、気楽に観ることをお勧めします。

 


さて「インターステラー 」の劇場公開当時、私は会社の同僚に相対性理論について質問されました。

 


相対性理論なんて生きていく上で、ほぼ必要ないと思いますが、何故そんなことを聞くのかと尋ねてみたら、

 


インターステラー という映画が相対性理論を理解していると面白いそうなので」

ということでした。

 


その時は「インターステラー 」について私は知らなかったのですが、予告編を観て宇宙関係の映画だと理解しました。

 


なので、SFの知識として、高速で移動する物体と観測者とでは、時間の進み方が異なるということを簡単に説明しました。

 


しかし、そんな科学的なSF映画があるなんて考えると、私は「インターステラー 」に興味津々となりました。

 


物語は近未来。

 


地球は異常気象などにより、植物、農作物が枯れてしまうという状況になっていました。

 


このままでは人類は滅亡してしまう危機的状況です。

 


トウモロコシ畑を営む元宇宙飛行士のクーパーは娘のマーフィーの部屋で本棚から本が勝手に落ちるという現象に遭遇します。

 


クーパーとマーフィーは、心霊現象ではなく、何かのメッセージではないかと本棚を調べます。

 


そして、とある座標を示していることを突き止めます。

 


クーパーとマーフィーは座標が示す場所に向かいました。

 


そこはかつてNASAと呼ばれていました。

 


NASAでは人類を他の惑星に移民させる計画が進んでいました。

 


クーパーはNASAから計画に協力されるように依頼されます。

 


果たして、クーパーは人類が居住できる惑星を発見できるでしょうか?

 


是非、観てみてください。

 


この映画には科学的な魅力と美しさがあります。

 


宇宙の映像から、惑星、ワームホールブラックホールといった天体までがリアリティであふれています。

 


映像的なスケールのデカさに圧倒されます。

 


そして、時間のずれをここまで表現した映画は他にはないと思います。

 


宇宙に旅立ったクーパーと地球に残ったマーフィーとでは時間の進み方が違います。

 


簡単に言うと高速で移動しているクーパーの時間の方がゆっくり流れるのです。

 


したがって、クーパーから見ればマーフィーがみるみる成長して、大人になってしまうというわけです。

 


いわばマーフィーの寿命が計画のタイムリミットになっているというわけです。

 


非常に面白い設定だと思います。

 


しかし、私は当初、この映画を受け入れることができませんでした。

 


私が気になったのは点は2箇所です。

 


1点目は、最初にたどり着いた惑星です。

 


この惑星はブラックホールの内側を公転していて、重力の影響をモロに受けています。

 


その結果その惑星の1時間は7年に相当するというのです。

 


私は映画を観ながら

 


「この惑星はダメだ。後回しだな」

と思っていました。

 


当初はクーパーも惑星降下には反対していたくせに、アッサリ賛成してしまいます。

 


「ダメに決まってんだろー!」

私は憤りを感じました。

 


他の惑星を回ってから戻って来ても、その惑星

では数時間もしくは数分しか経っていないのだから、断然後回しにするべきだと思いました。

 


納得がいきません。

 


この主人公とは気が合わない。

 


と、不信感を募らせてしまいました。

 


結果論としてはクーパーの判断が最終的に正しかったのですが、私は納得したわけではありません。

 


続いて2点目ですが、宇宙船に搭載しているシャトルが万能過ぎることです。

 


地球から宇宙に出た時は巨大なロケットで打ち上げていたはずなのに、他の惑星では、自由に宇宙に離脱しています。

 


そんなに自由に離脱できるならば、宇宙移民なんて簡単にできるのではないでしょうか?

 


不思議です。

 

 

 

無理矢理、納得しようと思えばシャトルが反重力装置的なものを搭載してるのではないでしょうか?

 


不思議です。

 


ただのSFならば、どんな科学的矛盾があろうとも、さほど気にならないのですが、リアルになればなるほど気になってしまいます。

 


作中に出てくるワームホールや5次元空間などはリアルの許容範囲を超えているので、一切文句はありません。

 


そんなに、こだわるところでもないのかもしれません。

 


でも、気になってしまって、もう私は「インターステラー 」を5回は観ています。

 


部分的に納得いかないところもありますが、ストーリーは非常に面白いと思います。

 


特にクーパーとマーフィーの親子関係は、ちょっと他の映画にはない感動があると思います。

 


宇宙の映像美も魅力なのですが、話の根本は親子の絆なので、重力波とか難しいところは雰囲気で観た方が良いのかもしれません。

 


相対性理論なんかも、重力の大きいところと、速く移動しているものの時間はゆっくり流れるということだけを把握していれば大丈夫です。

 


なので、難しそうで敬遠していた人も、是非一度観てみて下さい。

 


そうそう、この映画のテーマの一つに

「起こり得ることは起こり得る」

というものがあります。

 


この部分が「TENET」と対をなしていると感じました。

 

 

 

戦国自衛隊

第181回目は「戦国自衛隊」です。

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1979年の日本のSF時代劇です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


戦国時代に自衛隊がタイムスリップしたら、どれくらい戦えるのか?

 


そんな架空戦記です。

 


割と好きな映画です。

 


物語は伊庭義明 三等陸尉が率いる自衛隊の一部隊が戦国時代にタイムスリップしてしまうところから始まります。

 


やがて、当地の武将である長尾景虎と親密になり、ともに天下を目指すというストーリーです。

 


前半はタイムスリップに困惑しながらも、順応していく過程が描かれます。

 


後半は自衛隊VS武田信玄の戦いとなります。

 


合戦シーンは見応えがあります。

 


私はこの映画が好きであると同時に、不満も沢山あります。

 


戦国武将の描写は抜群に面白いのですが、自衛隊の演出が若干物足りない感じがします。

 


武田信玄の軍隊の戦法は迫力もあり、強さも恐ろしさも感じます。

 


ところが、自衛隊があまりにも弱そうです。

 


規律は乱れ、士気は低く、メンタルも弱い。

 


到底、自衛隊とは思えません。

 


タイムスリップしてパニックになっているのかも知れませんが、どうにもだらしのない感じがします。

 


それに戦術面でも、余程自衛隊らしくない戦いをします。

 


好戦的な時点で自衛隊らしくないですけど。

 


自衛隊の戦力は戦車が一台とヘリコプターが一機(戦闘ヘリではない)とジープやトラックのみ。

 


兵員は僅か16名。

 


対して武田軍は2万人。

 


まともに戦って勝てるはずがありません。

 


戦いの基本は戦力と補給と情報です。

 


そのいずれもが自衛隊は武田軍に劣っています。

 


燃料も銃弾も無限にあるわけではありません。

 


にもかかわらず、武田軍に正面衝突してしまいます。

 


無理、無茶、無策の三拍子です。

 


いくらマシンガンで連射が出来ても、30発も撃てばマガジンチェンジをしなければなりません。

 


マガジンも何個も持てませんし。

 


その隙に騎馬隊はどんどん接近してきます。

 


近接戦闘になれば不利は明白です。

 


これは、あまりにも近代戦闘らしくありません。

 


私の素人考えでは、先ずヘリコプターで本陣を探して武田信玄の所在を特定します。

 


そこに戦車で長距離射撃を加えます。

 


これが最善の策だと思います。

 


ヘリコプターから直接爆弾を落とせば良いのかも知れません。

 


この戦い方の方が理にかなっていると思います。

 


しかし、それでは映画としての絵面的に盛り上がりに欠けてしまいます。

 


自衛隊と戦国武将の合戦を描きたいわけですから、やむを得ないでしょう。

 


せめて10倍くらいの戦力があれば、もっといい勝負になったかもしれません。

 


しかし、それでも合戦シーンは屁理屈抜きなら見事です。

 


騎馬隊、鉄砲隊の使い方が満点です。

 


そして、なんだかんだ指揮官の伊庭義明の活躍に目を奪われてしまいます。

 


伊庭義明が戦国時代に魅了されていく過程がこの映画の見どころなのです。

 


自衛隊の戦いと言うよりは伊庭義明個人の私闘なのです。

 


伊庭義明の盟友となった長尾景虎との交流もまた感動するところです。

 


これもまた戦国ならではの演出だと思います。

 


それなりに残酷で女性の扱いが酷かったりと、批判する部分も多いですが、私はなかなか面白いと感じました。

 


興味ある人は是非一度、観てみてください。

 


あと長尾景虎がお茶目で面白かったです。

 


こんな長尾景虎は見た事がありません。

 


伊庭義明と長尾景虎の時代を超えた友情が良かったです。

 


♫友達になれたらいい〜

         それ以上は望まないさ〜♫

里見八犬伝

第180回目は「里見八犬伝」です。

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1983年の日本のファンタジー時代劇です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


江戸時代に書かれた「南総里見八犬伝」の映画化です。

 


しかし、原作とはかけ離れたオリジナルストーリーになっています。

 


長大な原作を一本の映画にまとめたことを考えれば、評価するべき変更だったように思います。

 


物語は戦国時代、里見義実(さとみよしざね)は蟇田定包(ひきたさだかね)を討伐します。

 


定包の妻、玉梓(たまづさ)こそが悪の権化であり、領民を苦しめていました。

 


里見義実は火をかけて、玉梓を焼き殺しました。

 


死ぬ間際、玉梓は里見家に呪いをかけてしまいます。

 


その後、里見家は隣国に攻められ滅亡の危機となりました。

 


里見義実は愛犬の八房(やつふさ)に

「敵将の首を取ってくれば、褒美に娘の伏姫を嫁にくれてやる」と戯れに言ってしまいました。

 


そして、八房は見事に敵将の首を取ってきました。

 


伏姫は八房の妻となり、山に篭ります。

 


里見義実は山に鉄砲隊を送り、八房を殺そうとします。

 


ところが、八房を庇った伏姫に銃弾が当たってしまいました。

 


その時、伏姫の身体から八つの光の玉が飛び散りました。

 


「100年の後、光の玉が八人の犬士となって玉梓の呪いに打ち勝つでしょう」

 


死ぬ間際に伏姫はそう言い残しました。

 


そして、100年後

 


玉梓は妖怪となって蘇り、悪の軍団を率いて里見家を滅ぼしてしまいました。

 


唯一の生き残り静姫は、なんとか城から脱出していました。

 


そして静姫のもとに光の玉を携えた犬士が集まってきます。

 


果たして静姫は玉梓の呪いに打ち勝つ事が出来るでしょうか?

 


是非、観てみてください。

 


邦画の中では、私の好きな作品の上位に挙げられます。

 


今観ても充分に面白いと感じました。

 


多少、安っぽい特撮がありますが、それでも素晴らしい出来だと思います。

 


設定も凝っていて、とても江戸時代に書かれたとは思えません。

 


八犬士が個性的で魅力があります。

 


2人ばかり手抜きで仲間になった感がありますが、八犬士が集結していく様は見応えがあります。

 


往年のアクション俳優が多数出演しており、私としては嬉しい限りです。

 


中でも親兵衛役の真田広之、道節役の千葉真一、毛野役の志穂美悦子、信乃役の京本政樹、現八役の大葉健二は私の好きな俳優たちです。

 


静姫を演じる薬師丸ひろ子も、どちらかというと姫っぽくはない気がしますが、無垢で神秘的な雰囲気を帯びています。

 


コレだけでも豪華キャストです。

 


それにも増して、悪の軍団も魅力的なのです。

 


蛇の妖怪やムカデの妖怪、怪しげな坊主など悪役にピッタリの顔ぶれです。

 


黒甲冑の雑兵と赤甲冑の指揮官というのもビジュアル的にカッコいいと思いました。

 


中でもボスキャラの夏木マリ扮する玉梓は妖艶な美貌で、まるで本物の妖怪のようです。

 


正に怪演と言ったところでしょう。

 


こういう冒険ものは、いかに敵に魅力を持たせるかが勝負だと思います。

 


そういう意味では抜群の悪役であり、見事に善悪のパワーバランスが拮抗しています。

 


最後の決戦まで楽しめます。

 


なかなか完全なハッピーエンドとは言い難いかも知れませんが、綺麗にまとまっていると思います。

 


邦画のヒロイックファンタジーとしては、今のところ1番好きです。

 


こういう映画はここ最近では見かけなくなったように思います。

 


時代劇ということもあって、今後も「里見八犬伝」の様な作品は現れないかもしれません。

 


ちょっと古いかも知れませんが、ファンタジーが好きな人は是非、観て欲しいです。

 


因みに主演の真田広之は子供の頃の私のヒーローでした。

 


もう少し身長が高ければ、もっとハリウッドで活躍したかも知れません。

 


いや、これから活躍するかもしれないですね。

リング

第179回目は「リング」です。

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1998年の日本のホラー映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


今や、日本を代表するホラー映画と言っても過言ではないでしょう。

 


おそらく日本人で、その存在を知らない人はいないでしょう。

 


しかし、意外と映画を観たという人は少ないかもしれません。

 


映画のキャラクターが一人歩きしている感じです。

 


そこだけがクローズアップされていますが、まだ観ていない人は、映画自体の怖さを是非体験して欲しいです。

 


私はこの映画にはかなり衝撃を受けました。

 


ホラー映画の中でここまで面白いと感じた作品はなかったと思います。

 


物語は巷で噂の「呪いのビデオ」について取材している浅川玲子が主人公です。

 


「呪いのビデオ」とは、観た人を1週間後に殺してしまうという代物で、高校生の間で話題となっていました。

 


ある時、浅川玲子は突然死した姪の大石智子の葬儀に参列する。

 


そこで大石智子は「呪いのビデオ」を観たという証言を聞き出しました。

 


1週間前に智子と旅行に出かけた4人は全員同時刻に亡くなっていました。

 


浅川玲子は智子の旅行先である伊豆のペンションに向かいました。

 


そこでラベルのないビデオテープを発見し、観てしまいました。

 


直感で、「呪いのビデオ」であると確信した浅川玲子は元夫である高山竜司に相談する。

 


そして浅川玲子と高山竜司は呪いを解くためにビデオテープのルーツを探ります。

 


果たして「呪いのビデオ」は誰が何のために作ったのでしょうか?

 


呪いを解くことはできるのでしょうか?

 


是非、観てみてください。

 


この映画は私は結構好きです。

 


ただし、評価としては難しいかもしれません。

 


ここからネタバレ強めです。

 


ぶっちゃけて言えばこの映画は、心霊ホラーであると同時に超能力ホラーでもあるのです。

 


私はそこが面白いところだと思うのですが、中にはガッカリする人もいるのではないでしょうか?

 


怨念が超能力によるものとなると、若干ですが恐怖が和らいだ様な気がしました。

 


しかも高山竜司も超能力者なので、何というか頼もしいです。

 


それでも怖さの緊張はビンビンに張っていたと思います。

 


まず、冒頭の導入部分、大石智子のシーンですが、なかなか良い雰囲気を醸し出しています。

 


めちゃくちゃ怖いというわけではないのですが、ゾゾゾっと背筋に冷たいものが走る様な雰囲気を放っています。

 


抜群に良いシーンだと言えます。

 


これでツカミはOKです。

 


本筋ではビデオの呪いを解くまでのタイムリミット、1週間という時間が全体的な緊張感と恐怖をもたらします。

 


しかし、意外と調査はサクサク進んでしまいます。

 


上映時間をもう30分伸ばして捜査を難航させた方が盛り上がった様に思います。

 


95分という長さでは少々、物足りなく感じました。

 


ただビデオの映像を解析したりするところは、推理モノのようでワクワクしました。

 


実はこの映画は直接的な怖いシーンは割と少ないのです。

 


どちらかと言うとサスペンス的な雰囲気です。

 


しかし終盤は怒涛のホラーシーンが続きます。

 


第一段階は井戸のシーン。

 


呪いを解くためのシーンですが、シチュエーションがめっぽう怖い。

 


拒絶感や絶望感の混在する良いシーンです。

 


第二段階は高山竜司のシーン。

 


このシーンは有名すぎて誰もが知っているシーンです。

 


あえて言いませんが、ある有名人物が出て来ます。

 


もう完全な出オチです。

 


流石の私も少しビビってしまいました。

 


正直なところ、今まで観たホラー映画で一番怖かったように感じました。

 


ストーリーの展開上で、理解が及ばず混乱しているところに不意を突かれました。

 


このシーンだけで、この映画を観る価値があります。

 


さて、最後は浅川玲子のラストシーン。

 


浅川玲子のラストの表情こそ、この映画で最も恐ろしいシーンなのです。

 


つまり、最初から最後まで怖くて、面白いのです。

 


ホラー映画の苦手な人もこの映画だけは観て置いて欲しいです。

 


もう観なくても、呪いの正体も知っているから今更だよ。

 


と、思っている人にも一度観ておくことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

ゲティ家の身代金

 

 

第178回目は「ゲティ家の身代金」です。

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2017年のアメリカ・イギリス合作の実話を基にしたクライムサスペンス映画です。

 


フィクションとノンフィクションでは映画の見かたが随分と変わると思います。

 


フィクションの場合は「いかに楽しませるか」という演出と脚本が必須だと思います。

 


逆にノンフィクションの場合は「いかに事実に近づけるか」という演出と脚本になるように思います。

 


更に言えば、フィクションの場合は「いかにリアリティを持たせるか」が勝負であり。

 


ノンフィクションの場合は「いかにフィクションを交えるか」が鍵になっているように思います。

 


100%事実では映画として成立しない場合もあると思うので、ある程度の脚色は必要だと思います。

 


しかし、この映画はまるで事実とは信じられない様な部分が事実なのだそうです。

 


そういう意味では、かなり衝撃的な映画でした。

 


物語は、大富豪のジャン・ポール・ゲティの孫、ポールが誘拐されるところから始まります。

 


犯人からの要求は身代金1700万ドルでした。

 


しかし、ゲティ氏は身代金を払おうとはしませんでした。

 


表向きは、「身代金を払ってしまうと他の孫も誘拐犯に狙われるから」ということでしたが。

 


実はジャン・ポール・ゲティ氏は稀代のドケチだったのです。

 


果たしてポールは無事に救出されるのでしょうか?

 


是非映画を観てみてください。

 


実話ということで、残酷な展開には重みを感じました。

 


犯人も残忍ですが、ゲティ氏は冷酷です。

 


というかドケチです。

 


こんなケチな人間がいるものなのですね。

 


私の前職の社長と同じくらいドケチです。

 


身代金を値切ったり、節税対策に使ったり、あるいは脅しに使ったりと見事なケチっぷりです。

 


孫の命よりも美術品の方が大事な様子です。

 


こんな事件が本当にあったなんて信じられません。

 


良い意味で酷い内容です。

 


絶望感が凄いです。

 


冒頭の方であるキーアイテムが出てきます。

 


映画を観ながら、私はそのキーアイテムが希望をもたらすと思っていましたが、まさかの絶望のどん底に落とされてしまいました。

 


監督の仕掛けた罠にハマってしまいました。

 


見事な演出です。

 


それにしてもイタリアンマフィアというのは恐ろしい連中です。

 


それに対抗するには、ドケチじゃなければならないのでしょうか?

 


私の感覚ではイタリアは犯罪が多いという印象ですが、ますます恐ろしくなってしまいました。

 


誘拐を題材した映画の中では上位に食い込む作品だと思います。

 


実話なので、言って良いのか分かりませんが、私はかなり面白かった様に感じました。

 


フィクションであれば、悪質な作品と言ったかもしれませんが、実話であるなら最高の出来だと思います。

 


「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、大富豪やドケチというのは私にとっては浮世離れした世界の様です。

 


私の前職のドケチ社長も、まるでコメディマンガから抜け出してきた様な人でした。

 


ケチってケチって、大損するような可愛げのあるひとでした。

 


ゲティ氏はケチで財産を成したのだから、バカにはできないのかもしれません。

 


しかし、身代金くらいは払ってあげて欲しいものです。

 


というわけで、マフィア対ドケチの戦いの行く末を是非観てみて下さい

 

 

 

さよなら銀河鉄道999

第177回目は「さよなら銀河鉄道999アンドロメダ終着駅ー」です。

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1981年の日本のアニメ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


銀河鉄道999」の直接の続編です。

 


私は続編というものがあまり好きではありません。

 


綺麗に完結したのに、実は更なる不幸が待ち受けていたとなれば最悪です。

 


もちろん中には、ターミネーター2エイリアン2のような素晴らしい作品もあります。

 


ですが、続編が駄作だった場合は目も当てられません。

 


続編を観るには勇気が必要です。

 


私は続編鑑賞恐怖症なのです。

 


さて、ではこの「さよなら銀河鉄道999」はどうでしょうか。

 


実は私はこの作品を受け入れることが、ずっとできていませんでした。

 


しかし、今回鑑賞したことで、やっと納得することができました。

 


いろいろと考察の余地はあると思いますが、良い作品だと思います。

 


物語は前作の2年後。

 


地球は人間と機械化人間の戦争状態となっていました。

 


星野鉄朗もパルチザンとして機械化人間と戦っていました。

 


そんな鉄朗の元にメッセージが届きました。

 


「鉄朗、999に乗りなさい」

メーテルの声で再生されるメッセージに導かれ、鉄朗は再び銀河鉄道999に乗り込みます。

 


しかし、そこにメーテルはいませんでした。

 


果たしてメーテルは何処に?

 


そして999は何処に向かうのか?

 


是非、観てみてください。

 


公開当時、私は映画館で鑑賞しました。

 


その時は、感動したように思います。

 


それこそ最初から最後まで、面白かったと思います。

 


冒頭の戦闘シーンも緊迫感があって雰囲気が良いし、謎の幽霊列車も存在感がありました。

 


そして今回の鉄朗のライバルである黒騎士ファウストもなかなかの好敵手です。

 


ギュギュッと詰め込んだ内容には圧倒されます。

 


しかし、いつの頃からか、この不幸な未来を否定する様になっていました。

 


ファウストの存在も、サイレンの魔女の存在も許せなくなっていました。

 


なんと言うか、私の心が狭量になっていました。

 


ぶっちゃけて言えば、前作が当たったので、無理矢理続きを作って、一儲けしようという魂胆で作られた様な気がしてなりませんでした。

 


単に私が大人ぶって、知ったかぶっていただけでした。

 


ところが、改めて観たところ、やはり面白かったのです。

 


しかも驚いたことに、私の心は鉄朗ではなく敵のファウストになっていたのです。

 


機械化帝国の滅亡を目指す鉄朗と、人間と機械化人間との共存を目指すファウスト

 


この2人の戦いだったのです。

 


私は機械化賛成派なので、ファウストよりの立場です。

 


最後まで鑑賞すると、結果的に私は鉄朗と意思を共有することになりました。

 


そう、機械化人間とは共存出来ないという結論に至ったのです。

 


前作で残った疑問がこの映画で解決されたのです。

 


この映画で銀河鉄道999は完結したのです。

 


そういう意味では感動しました。

 


見どころも満載ですが、謎も満載の映画です。

 


一番の謎はファウストの存在です。

 


機械帝国の幹部ですが、なぜ彼の妻と息子は極貧生活を送っていたのでしょうか?

 


それとも幹部になったのは最近の話なのでしょうか?

 


それなら分からなくもないかな。

 


それからサイレンの魔女。

 


機械エネルギーを吸収する謎の天体(?)。

 


そんなのあるかな?

 


そもそも機械エネルギーってなんだ?

 


でも、そういうのが松本零士作品の魅力ですね。

 


それから途中で鉄朗とメーテルが、人が死んで行くのをお喋りしながら眺めているシーンがあります。

 


結構長いシーンだったので、かなりの人がお喋りの間に死んでしまったと思われます。

 


なんとも言えないシーンです。

 


もう少し、お喋りを短くすれば多くの人の命を救えたに違いありません。

 


人の命の重さを考える映画なのに、なんてことでしょう。

 


とにかく、前作では機械帝国万歳の私でしたが、今作で私は機械帝国の敵となりました。

 


残念です。

 


さて、今作もハーロックやエメラルダスが出てきます。

 


ハーロックはチョイ役でしたが、問題はエメラルダスです。

 


なんだか余計なことを言ってくれました。

 


でしゃばりです。

 


エメラルダスがいなければ、ハッピーエンドだったのに。

 


私は少しエメラルダスを恨んでしまいました。

 


残念です。

 


それでも彼らに良き未来が待っていることを祈っています。

 


というわけで、私の中では1998年の「銀河鉄道999エターナル・ファンタジーは無かったことにします。

銀河鉄道999

第176回目は「銀河鉄道999」です。

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1979年の日本のアニメ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


私は松本零士の作品が好きです。

 


この「銀河鉄道999」は松本零士の作品世界の原点、もしくは中心点となる作品です。

 


松本零士作品の中では最高傑作です。

 


是非一度は観ておいてほしい作品です。

 


物語はかなり未来の地球から始まります。

 


その時代では裕福な人間は機械の身体を手に入れ、永遠の命を謳歌していました。

 


一方、貧乏人は極貧の生活を強いられています。

 


主人公、星野鉄郎も極貧生活者でしたが、彼には夢があります。

 


宇宙の果てに機械の身体をタダでくれる星があるというのです。

 


そのために鉄朗は銀河鉄道999に乗りたいと思っていました。

 


ところが、999のパス(乗車券)は高額すぎて買えません。

 


そこで鉄朗は機械化人間からパスを強奪します。

 


鉄朗は警察に追われ逃亡しますが、ついに追いつめられて、パスの強奪に失敗してしまいます。

 


しかし、そこを謎の美女メーテルに救われます。

 


メーテルは一緒に999で旅をしてくれるなら、パスをあげてもいいと鉄朗に話を持ちかけます。

 


二つ返事で了解した鉄朗はいよいよ銀河鉄道999に乗り込みました。

 


果たして鉄朗は機械の身体を手に入れられるのでしょうか?

 


メーテルの正体とは?

 


是非、観てみてください。

 


ここからさらにネタバレ注意です。

 


この映画を初めてみた時、私はちょうど鉄朗のようなワンパク少年でした。

 


そのせいか鉄朗には感情移入できましたし、メーテルには憧れを抱いていました。

 


そして何より、キャプテン・ハーロックが登場するので私は子供心にパニックに陥ってしまいました。

 


今となっては999とハーロッククイーンエメラルダス、1000年女王などが同じ世界に生きているということを知っていますが。

 


当時の私はハーロックの登場に理解が追いつきませんでした。

 


まさか原作者が同じなどということを知る由もなかったのです。

 


おそらくハーロックが登場した時、私は鉄朗と同じくらい驚いていたと思います。

 


その時の私はドップリと鉄朗にシンクロしていたのです。

 


さて、改めて観直すと少年時代とは違った感想になっていました。

 


鉄朗は母親を機械伯爵に殺され、その復讐のために機械の身体を求めていました。

 


鉄朗は機械帝国を憎んでいました。

 


もちろん少年時代の私は鉄朗になりきって、打倒機械帝国を願っていました。

 


ところが、今の私は機械の身体を欲しています。

 


どちらかと言えば、鉄朗とは反対側の人間になってしまったのです。

 


機械伯爵は鉄朗の個人的な仇なので、自由に決闘すれば良いでしょう。

 


しかし、機械帝国には罪はないのではないでしょうか。

 


永遠の命を持つものが、限りある命を軽んじる。

 


そんな世界があって良いわけはありませんが、全否定するものでもありません。

 


人間狩りをするのは一部の機械化人間だと思われます。

 


もっとも、機械帝国の中枢は人間を軽視していますが。

 


鉄朗と私の間に乖離が生まれてしまいました。

 


機械化の何が悪いのでしょうか。

 


命を大事にするかどうかは個人的な問題だと思います。

 


果たして鉄朗を応援して良いものでしょうか。

 


それはともかく、キャプテン・ハーロックがカッコいいです。

 


アルカディア号も美しい。

 


鉄朗と機械伯爵の決闘に手を貸さないところもハーロックらしくて良いと思います。

 


ハーロックが機械帝国と戦う理由は解りませんが、ただ鉄朗を助けるためだけというなら、ちょっと感動です。

 


友のためなら、機械帝国と戦うことを厭わないでしょう。

 


ハーロックはそういう男です。

 


他の作品にも登場しますが、この映画のハーロックが1番カッコ良いと思います。

 


とにかく松本零士が好きな人には絶対に観て欲しいし、松本零士を知らない人にも是非観て欲しいです。

 


正直なところ松本零士は漫画家としては完璧ではありません。

 


物語は未完ものが多く、設定もコロコロ変わります。

 


しかし、おそらくこの映画は公式で決定的な作品になっていると思われます。

 


他の松本零士作品を見る前に、1番最初に観てください。