第176回目は「銀河鉄道999」です。
1979年の日本のアニメ映画です。
*以降ネタバレ注意です。
私は松本零士の作品が好きです。
この「銀河鉄道999」は松本零士の作品世界の原点、もしくは中心点となる作品です。
松本零士作品の中では最高傑作です。
是非一度は観ておいてほしい作品です。
物語はかなり未来の地球から始まります。
その時代では裕福な人間は機械の身体を手に入れ、永遠の命を謳歌していました。
一方、貧乏人は極貧の生活を強いられています。
主人公、星野鉄郎も極貧生活者でしたが、彼には夢があります。
宇宙の果てに機械の身体をタダでくれる星があるというのです。
そのために鉄朗は銀河鉄道999に乗りたいと思っていました。
ところが、999のパス(乗車券)は高額すぎて買えません。
そこで鉄朗は機械化人間からパスを強奪します。
鉄朗は警察に追われ逃亡しますが、ついに追いつめられて、パスの強奪に失敗してしまいます。
しかし、そこを謎の美女メーテルに救われます。
メーテルは一緒に999で旅をしてくれるなら、パスをあげてもいいと鉄朗に話を持ちかけます。
二つ返事で了解した鉄朗はいよいよ銀河鉄道999に乗り込みました。
果たして鉄朗は機械の身体を手に入れられるのでしょうか?
メーテルの正体とは?
是非、観てみてください。
ここからさらにネタバレ注意です。
この映画を初めてみた時、私はちょうど鉄朗のようなワンパク少年でした。
そのせいか鉄朗には感情移入できましたし、メーテルには憧れを抱いていました。
そして何より、キャプテン・ハーロックが登場するので私は子供心にパニックに陥ってしまいました。
今となっては999とハーロック、クイーンエメラルダス、1000年女王などが同じ世界に生きているということを知っていますが。
当時の私はハーロックの登場に理解が追いつきませんでした。
まさか原作者が同じなどということを知る由もなかったのです。
おそらくハーロックが登場した時、私は鉄朗と同じくらい驚いていたと思います。
その時の私はドップリと鉄朗にシンクロしていたのです。
さて、改めて観直すと少年時代とは違った感想になっていました。
鉄朗は母親を機械伯爵に殺され、その復讐のために機械の身体を求めていました。
鉄朗は機械帝国を憎んでいました。
もちろん少年時代の私は鉄朗になりきって、打倒機械帝国を願っていました。
ところが、今の私は機械の身体を欲しています。
どちらかと言えば、鉄朗とは反対側の人間になってしまったのです。
機械伯爵は鉄朗の個人的な仇なので、自由に決闘すれば良いでしょう。
しかし、機械帝国には罪はないのではないでしょうか。
永遠の命を持つものが、限りある命を軽んじる。
そんな世界があって良いわけはありませんが、全否定するものでもありません。
人間狩りをするのは一部の機械化人間だと思われます。
もっとも、機械帝国の中枢は人間を軽視していますが。
鉄朗と私の間に乖離が生まれてしまいました。
機械化の何が悪いのでしょうか。
命を大事にするかどうかは個人的な問題だと思います。
果たして鉄朗を応援して良いものでしょうか。
それはともかく、キャプテン・ハーロックがカッコいいです。
アルカディア号も美しい。
鉄朗と機械伯爵の決闘に手を貸さないところもハーロックらしくて良いと思います。
ハーロックが機械帝国と戦う理由は解りませんが、ただ鉄朗を助けるためだけというなら、ちょっと感動です。
友のためなら、機械帝国と戦うことを厭わないでしょう。
ハーロックはそういう男です。
他の作品にも登場しますが、この映画のハーロックが1番カッコ良いと思います。
とにかく松本零士が好きな人には絶対に観て欲しいし、松本零士を知らない人にも是非観て欲しいです。
正直なところ松本零士は漫画家としては完璧ではありません。
物語は未完ものが多く、設定もコロコロ変わります。
しかし、おそらくこの映画は公式で決定的な作品になっていると思われます。
他の松本零士作品を見る前に、1番最初に観てください。