突然ですが、ネコを拾いました。
水曜日の正午くらいにネコの鳴き声に気がつきました。
しかし窓から辺りを見回しても、玄関周辺にも見当たりませんでした。
それから午後3時になり、妻が帰宅。
「ネコの声がする」ということで、改めて捜索。
すると、我が家と隣家の間に、本当に小さなネコの赤ちゃんを発見。
まだ目も開いておらず、へその緒もついているような生まれて間もないネコのようです。
綺麗なタオルの上にいたので、おそらく捨て猫だと判断しました。
私が鳴き声に気づいてから、3時間かそれ以上放置されているとなると、生命に危機が及ぶのではないかと、咄嗟に保護しました。。
その後、警察に届けるも、保護センターに聞いてくれと見放され。
保護センターには受け入れは金曜日の午前中しか出来ませんと言われました。
しかも、保護したネコは余りに小さいので、保護センターに預けても、殺処分になる可能性が高いと言うのです。
こうなっては自分たちで育てるか、引き取り手を探すかしなければなりません。
しかし、こんな小さなネコを育てた経験もなければ、育てる度胸もない。
ただ責任感と使命感で、このネコを救わねばと思った次第です。
急いで、ペットショップで必要な物を揃え、何とかミルクを飲ませて、動物病院へと急ぎました。
幸いにも健康状態は良いようで、生後2、3日というところらしいです。
「育てるのは大変ですよ」と言われました。
2時間ごとにミルクをあげねばならず、普通なら、出来ませんと根を上げるところだった。
ところが、運命のいたずらか、神の導きか、何を隠そう、私は訳あって現在休職中なのであります。
もし、そうでなければ、私は生きたネコではなく、死んだネコと対面することになっていたかもしれない。
いや、生まれていたことに気づきさえしなかったかもしれないのだ。
この巡り合わせに奇跡を感じる。
私はこのネコの命を救う運命だったのかもしれない。
拾う前の子ネコの鳴き声は驚くほど大きく、母猫を呼ぶ声なのか、助けを呼ぶこえなのか、精一杯の力を振り絞って、鳴いていた。
今は落ち着いたのか、よく眠るし、大きな声でも鳴かない。
あれは生命の、魂の叫びだったのだ。
棄てた人間もその声を聞いただろうに。
私はこのネコを棄てた人間を許さないだろう。
もしも、私が独裁者であればネコを棄てた人間を裁判にかけて、サハラ砂漠のど真ん中に追放の刑に処するにところである。
そんな真面目な話はさて置き、私はこの出会いに感謝しているのだ。
どうか私に、この小さな命を守る力が授かりますように。