第211回目は「リトル・プリンセス」です。
1995年のアメリカの児童文学の映画です。
*以降ネタバレ注意です。
私は児童文学や童話を題材にした映画が、結構好きです。
物語制作の基本だと思いますし。
何よりメッセージが明確です。
子供の頃は、単に面白いか面白くないかしか、解らないかもしれませんが。
ある程度、成長すれば何を伝えようとしているか、感じ取れると思います。
姪っ子が感動する瞬間を見て、私も感動してしまうのです。
大人になると、感動しづらくなってくるじゃないですか?
私だけかもしれませんが、ちょっとやそっとの話じゃ感動なんてしません。
その点、子供は純粋で良いなと思うのです。
さて、この映画は児童文学の「小公女」を題材にしています。
私は原作小説を読んだことはありません。
私が子供の頃、世界名作劇場「小公女セーラ」というアニメがテレビで放送していました。
私にとってはこのアニメが基本になっています。
それが実写となったのであれば観ずにはいられません。
アニメと映画は随分と設定が違うので、少々困惑してしまいます。
しかし、映画は映画で別物として受け入れました。
物語はインドで暮らすイギリス人の少女セーラが主人公です。
父親は軍人で戦争が始まったため、インドを離れることになりました。
その際、セーラはニューヨークの寄宿学校ミンチン女学院に入学することになります。
最初、セーラは特別待遇でした。
しかし、ある日セーラの父親の戦死報告が届きます。
その途端、学長のミンチン先生はセーラの私物を没収し、セーラを召使いとして扱うことにしました。
セーラは大金持ちのお嬢様から、一気に貧乏人へと転落してしまいました。
果たしてセーラの運命は?
是非、観てみてください。
児童文学というだけあって、お子様と一緒に鑑賞することをお勧めします。
92分という長さも丁度いいと思います。
ただ余計なシーンが多く、肝心なストーリーが省略されていることは残念で仕方ありません。
しかし、全体的に美しい映像なので、没入感は高いと思います。
特に雪が舞うシーンは印象的でした。
普段は映画は映画、原作は原作と割り切ることにしている私ですが。
この作品に関しては割り切れませんでした。
厳密にはアニメとの違いですが。
アニメの方が原作寄りだと思います。
まずセーラの父は原作では、ダイヤモンド鉱山を運営している大富豪という設定です。
しかし映画では軍人で、階級は大尉です。
とても、大富豪とは考えられないでしょう。
もしかしたら、莫大な資産を持っているのかもしれません。
だとすると、その資産はセーラが相続することになるので、設定が崩れてしまいます。
原作通り、事業で破産して一文無しになった方が説得力があると思います。
セーラの性格もアニメとは違っています。
アニメの方では、貧乏になっても健気に気丈に生きていく感じです。
映画では、貧乏にもめげずに逞しく生きていく感じです。
どちらも同じではありますが、ニュアンスはかなり違います。
この映画のテーマは「どんな時もプライドを失ってはいけない」ということです。
女の子はみんなプリンセス。
武士は食わねど高楊枝。
というところです。
映画ではあまり酷い目にあわないので、貧乏感というか没落感があまり感じられません。
もっとミンチン先生や同級生のラヴィニアが意地悪な方が、悲壮感が出て良かったのではないでしょうか。
そうなってくると、孤児になったセーラを引き取ったミンチン先生は悪人ではないような気もします。
むしろ最後はミンチン先生が可哀想に感じました。
基本的に映画の方が原作よりハッピーでハートフルな感じがします。
個人的には原作通りの方が良いように思いますが、これはこれでアリだと思います。
ただ無理矢理ハッピーエンドに持って行こうとして、物語としてのスケールが縮小されてしまった気がします。
セーラといえば、通称ダイヤモンド・プリンセスですが、映画ではたかが軍人の娘です。
大富豪からド貧民に転落するところが面白いのに、ちょっと物足りません。
この作品の良し悪しは、父親の設定が握っています。
設定が浅くなってしまうとメッセージも浅くなってしまいます。
「やっぱり貧乏より、お金持ちが良いよねー」
という風にとらえられかねません。
貧乏でも挫けない美しい心が、見せ所だと思うのですが、セーラが割とヘッチャラなので、困ってしまいます。
その分、観やすいという利点もありますけど。
綺麗にまとめ過ぎな気がします。
でも、原作と比べなければ、とても良い作品だったと思います。
是非、女の子がいるご家庭は家族で観てみてください。
余裕が有れば「小公女セーラ」全46話を観ることをお勧めします。