第161回目は「ルームメイト」です。
1992年のアメリカのサイコスリラー映画です。
最近ではルームシェアとか、シェアハウスなどは一般的なのでしょうか。
ドラマやバラエティの影響で、寧ろシェアするのがオシャレという感覚まであるのではないでしょうか?
親しい友だちとならば、考えられなくもないですが、初対面の人間とルームシェアするなんて信じられません。
一緒に住んだ人間がヤバいヤツだったら、どうするんでしょう。
私には真似できません。
そんな感じの映画です。
主人公アリーは、恋人のサムと同棲していました。
しかし、あることをキッカケに同棲を解消して、新たに同居人を募集することにしました。
そこにやって来たのがヘディです。
ヘディはアリーと対照的で、アリーはキャリアウーマンで、ヘディは愛らしい少女という感じでした。
ヘディを気に入ったアリーは直ぐに同居を決めてしまいました。
しかし、それから徐々にヘディに変化が現れ始めました。
断りもなく、犬を買ってきたりする非常識な娘でした。
果たしてアリーとヘディの同居は上手く行くのでしょうか?
そしてヘディとは何者なのでしょうか?
是非、一度観てみてください。
この映画は、サイコスリラーでは、ありがちの設定で、今となっては古典的な感じがします。
引っ越してきたら、お隣さんが殺人犯だったり、新しい職場の上司がサイコパスだった。
なんて、ありきたりですね。
しかし、この映画がつまらないかというと、そうではありませんでした。
出来栄えはあまり良くないかもしれませんが、魅力的に感じました。
理由としてはズバリ主人公アリーが嫌な女だというところだと思います。
確かにヘディはサイコパスなんですが、アリーが誠実であれば、ヘディはオカシクならなかったのではないでしょうか。
オカシクなったとしても、ギリギリ許容範囲だったかもしれません。
そういう意味ではヘディを精神的に追いつめたのはアリーだと言えると思います。
普通に観ればヘディがアリーを追いつめて行くのですが、逆に感じました。
もちろんヘディはサイコパスなんですが、アリーはそもそもルームシェアに向いていなかったようです。
感覚的にはペットを飼ったけど、要らなくなったから捨てちゃう無責任な飼い主という感じです。
簡単な気持ちで、ルームシェアなんてしてはいけないということです。
私はかなりヘディに同情的になってしまいました。
私としては珍しい感情です。
その分、映画のラストは酷いと感じました。
後半は割と強引で不可解な展開なのですが、寧ろリアリティを感じました。
このくらいの事件なら実際にあるかもしれないと思いました。
異常な執着心を持つ人が身近にいれば、そこそこに起こりそうです。
ヘディはアリーの服や髪型を真似して、双子コーデをする癖があります。
勝手に真似されたアリーは気持ち悪がりますが、こんな人たまにいませんか?
誰かが新しいバッグを買ってきたら、次の日にはおんなじバッグを持っているという人。
私は別に悪いことだとも思いませんが、真似されたと感じる人は嫌悪感や恐怖を感じるようです。
私自身は真似されたことがないので、わかりませんが、身近にある出来事のようです。
なので、この映画は身近な恐怖を感じる良い映画だと思います。
そんな経験があったり、ルームシェアを考えている人には観て欲しい気がします。
結末が安直すぎて残念でしたが、展開は面白い作品でした。