第141回目はピーターパンです。
2003年のアメリカ・イギリス・オーストラリア合作のファンタジー映画です。
*以降ネタバレ注意です。
ピーターパンといえばディズニーのアニメが有名だと思います。
本作はディズニー作品とは関係のない実写版です。
しかし、映像的な面でディズニー版の影響を受けてないとは言い切れないように思いました。
私はジャンルとして童話が好きなのです。
なんと言いますか、ファンタジーの基礎、もしくは完成形だと思うのです。
実写版ともなれば観ないわけにはいかないという感じです。
さて、ピーターパンは童話の中でもメッセージ性が強く、難解な作品でもあると思います。
物語は1900年代初頭のロンドンから始まります。
小説家になることを夢見る少女ウェンディ・ダーリングは両親と叔母さんから、子供扱いを卒業して大人としての生活を強いられようとしていました。
そんな夜、謎の空飛ぶ少年ピーターパンが現れ、ウェンディと弟のジョンとマイケルを永遠に子供でいられる世界「ネバーランド」へと連れて行きます。
そこでウェンディたちはフック船長が率いる海賊団と戦ったりと冒険をします。
果たしてウェンディは永遠に子供でいるのでしょうか?
それとも大人になるのでしょうか?
是非観てみてください。
映像としてはとても綺麗で見応えがあります。
童話としても完璧な作品ではないでしょうか。
童心に帰って観れば楽しい映画だと思います。
しかし、心の荒んだ私には様々な気になる点がありました。
先ず、ピーターパンとはそもそも何者なのか、映画の中では語られません。
どうやら原作ではネバーランドに迷い込んだ人間ということのようです。
とりあえずネバーランドの住人ということで良いのでしょうか。
その辺はストーリー上ではあまり重要ではないのでしょう。
有名なシーンでピーターパンの影が本体から切り離されてしまいます。
そこでウェンディがピーターパンに影を縫い付けてあげます。
一体、どこに縫い付けたのでしょうか?
足の裏でしょうか?
だとしたら、ウェンディは相当肝っ玉が座った女の子です。
私のイメージではピーターパンの足に影の切れ端が付いていて、そこに影を縫い付けたということかなと思うことにしました。
そこもストーリー上では、どうでもいいところです。
さて、永遠の子供ピーターパンは無邪気というか邪気ですね。
自己中心的で独裁者気質です。
妖精のティンカー・ベルもワガママです。
子供とはそういうものなのでしょうか。
大人のいないネバーランドでマトモな教育を受けていない子供なので仕方がないのでしょう。
ネバーランドで大人といえば、海賊しか居ません。
海賊は見た目は大人でも中身は子供なので、実質上マトモな大人はいない……。
そういえばインディアンの大人がいたっけ。
インディアンの娘タイガー・リリーはマトモそうなので、やはり子供には大人が必要なのでしょう。
大体そんな感じのメッセージの作品だと思います。
やはり子供は大人にならなければいけないということです。
愛を知らず、拒否するピーターパンとはなんなのでしょうか。
この映画は子供の残酷さをかなり意識して製作されている様に思います。
特に子供たちがフック船長をやっつけて爆笑しているシーンは残酷の極みだと思います。
最終的にはピーターパンが愛や友情を知るという展開になるのですが、結局のところピーターパンは大人になることを拒否します。
テーマとしては大人になるということは愛を知ることであるということだと思いますが。
果たしてピーターパンは子供のままでいられるのでしょうか?
それとも愛には気づかなかったのでしょうか。
気になります。
ラストの海賊船が飛ぶシーンは是非観ておいて欲しいです。
ついでにディズニーアニメ版のピーターパンも観てみました。
私としては実写版の方が面白かった様に思います。
アニメの方がピーターパンが意地悪でアホなような気がします。
フック船長も可哀想すぎて、いたたまれない気持ちになります。
そのほか現代ではコンプライアンス的に放送出来ないような気もします。
観るならば実写版をオススメしておきます。