第136回目はレ・ミゼラブルです。
1998年のアメリカ映画です。
*以降ネタバレ注意です。
私が小学6年生の時の担任教師は、たびたび面白い話を聞かせてくれた。
その先生は女性で時には涙ながらに物語を話すので、面白いやら呆れるやらでした。
私は先生の話が好きでした。
レ・ミゼラブルというタイトルが最近では一般的に浸透していると思いますが、私の子供ころは「ああ無情」という邦題が主流だったと思います。
先生は「ああ無情」のあらすじを感情豊かに話し終えて、涙ながらに言いました。
「主人公ジャン・バルジャンはパン1個盗んだだけで19年間も刑務所に入れられて可哀想でしょう。どう思う?」
先生はまるで文学少女の様に瞳をキラキラさせて生徒に問いました。
おそらく先生は私たちが感動してジャン・バルジャンに同情することを期待していたのだと思います。
対して生徒たちは先生の熱弁ぶりに引き気味になっていたため、絶句していました。
誰も感想を言わないので、仕方なく私は手を挙げました。
「ハイ、カズマ君」
先生が期待の目を私に向けました。
「ジャン・バルジャンは確か4回脱獄しているので、19年入れられたのは自業自得だと思います」私は思っていたことを素直に言いました。
「そういうことじゃないねんなぁ……」
先生のガッカリした顔を私は今でもはっきり覚えています。
そんなこんなで、あらすじだけは知っているレ・ミゼラブルを鑑賞してみました。
舞台は1800年代初頭のフランス。
主人公のジャン・バルジャンはパンを盗んだ罪で19年服役して保釈されたばかりでした。
宿を探していたジャン・バルジャンは親切な司教の家に泊めてもらいます。
にもかかわらず、ジャン・バルジャンは銀食器を盗み出してしまいます。
翌日、アッサリ逮捕されたジャン・バルジャンは司教の元に連れ戻されました。
「銀食器は彼にあげた物だ、銀の燭台もあげると言ったのに」と言って、司教は庇ってくれた上に銀の燭台も持たせてくれました。
司教の善意にうたれたジャン・バルジャンは心を入れ替えて善人に生まれ変わりました。
銀食器を元手に事業を成功させたジャン・バルジャンは名前を変えて人望のある市長へと登り詰めていました。
しかしジャン・バルジャンの過去を知る警官ジャベールが警察署長として赴任してきました。
果たしてジャン・バルジャンはジャベールから逃れることができるのでしょうか?
という物語です。
後半は養女のコゼットとの物語になっていますが、メインはジャン・バルジャンとジャベールの対決になっています。
なので、原作からすると物語は途中で終わってしまう形になっています。
また、原作の重要な部分がカットされているため、少し違和感があります。
ジャン・バルジャンが警察に追われる理由ですが、保釈中に逃亡したことが原因です。
普通に定期的に出頭していれば問題なかったのに、なぜ逃亡してしまったのでしょうか?
疑問が残ります。
それは良いとして、逃げるチャンスがあったのに人助けをしてジャベールに正体を知られていしまいます。
ジャベールは執拗にジャン・バルジャンを逮捕しようと追って来ます。
この映画テーマは「法に正義があるか」だと思います。
ジャン・バルジャンは逃亡以降は善人として生きて来ました。
老人を助けたり、ファンティーヌと言う女性を保護して、その娘コゼットを養女にもしました。
しかし、それでも逃亡者として裁かれなければならないのでしょうか?
一方ジャベールはジャン・バルジャン逮捕が正義であるという信念を持っていますが、徐々に気持ちが揺らいで来ます。
聖人の域にまで達したジャン・バルジャンを逮捕して死刑にしてしまって良いのでしょうか?
果たして一体、どちらに正義があるのでしょうか?
是非、観てみて判決を下してみてください。
私としてはジャン・バルジャンの逃亡は応援したいですが、ジャベールの信念も解らなくはないですね。
逃亡罪に時効はないのでしょうか?
フランスには時効はないのかな?
法律が厳しい様にも思いますが、時代的に貧困な状況ではパンを盗むことは重大な犯罪だったのでしょう。
逃亡したことも良いこととは言えません。
残念ながら私はジャン・バルジャンが可哀想には思えませんでした。
むしろジャベールの方が可哀想だった様に思います。
これは難しい映画です。
私ならどうするか悩むところです。
が、結論として、
私はジャン・バルジャンを犯罪者として逮捕します。
そのかわり、良い弁護士をつけてあげます。
それで良いですよね、先生。