第125回目はペリカン文書です。
1993年のアメリカのサスペンス映画です。
*以降ネタバレ注意です。
主人公は法律大学の学生で、ジュリア・ロバーツ扮するダービー・ショウ。
ある日最高裁判事のローゼンバーグとジェンセンが何者かによって暗殺される。
ダービー・ショウは学校のレポートとして2つの暗殺事件の関連について仮説を立てる。
ダービーの恋人で大学教授のキャラハンはレポート「ペリカン文書」を受け取り、FBIの友人に見せてしまう。
ペリカン文書はやがて大統領の目にとまることになった。
それ以来、ダービーは命を狙われることになる。
ダービーはペリカン文書の仮説が真実であると確信する。
という物語です。
ダービーの命を狙っているのはいったい誰でしょうか?
機会があったら観てみてください。
原作はジョン・グリシャムです。
法律ものと言えばジョン・グリシャムという感じが個人的にはしています。
ペリカン文書も面白いし、結構好きなのですが同時にツッコミどころも満載です。
まず第一に、ローゼンバーグとジェンセンの暗殺方法ですが、銃殺と絞殺です。
あからさまな殺人事件です。
普通なら自殺にみせかけるか、事故死を装うかするのではないでしょうか?
普通に考えても捜査で足が付きそうです。
一方、ダービーを狙う暗殺者は人数の割には鈍臭い感じがします。
大物の黒幕のわりに三流の殺し屋を雇ってしまったようです。
しかしながら誰に命を狙われているか分からないという緊迫感は、なかなか良い演出だと思います。
そもそも学生の書いた仮説なのだから、握り潰してしまえば済んだ話のような気もします。
という風にわりと全否定的な感想も持っています。
でも、私は割と好きな作品です。
というのも、この作品は私の子供の頃を思い出させるからです。
私の家から駅までは約1kmほどありまして、私は毎回通る道を変えていました。
当時、お付き合いしたてだった妻が
「道が覚えられない、どうして毎回違う道を通るの?」
と疑問を投げかけました。
「尾行防止」
と私は半分冗談で答えました。
では半分は本気なのかということですが、それは私が小学生の頃に遡ります。
私の小学校はやたらと道徳の授業で作文を書かせたがるのですが、内容は戦争や身近なところではイジメや町で起きた事件など様々でした。
そんななか、ある事件について作文を書く機会がありました。
私は面白半分真面目半分で「町の某有力団体黒幕説」という作文を書きました。
その作文を読んだ教師は血相を変えて私に書き直しを要求してきました。
仕方なく私は黒幕説をもっと詳しく解説した作文を提出しました。
今度は教師が「もっと当たり障りのない作文を書け!書き直すまで帰らせないぞ!」と言ってきました。
この時点で私は当てずっぽうで書いた作文が真相を捉えていたと確信してしまいました。
教師がガミガミ言うにつれて、この教師もグルに違いないと思うようになっていきました。
頑として書き直しを拒否した私は職員室に拉致監禁(居残り)されました。
やがて私の父親がやってきて、事情を説明しました。
「世の中、間違った奴が動かしてるのだから、自分だけが正しいことを言ってもアカンのやで」と父はタバコをふかしながら言いました。
「ほな帰ろか」
父に連れられて私は帰ることができました。
なぜ教師は私の駄文を真に受けたのでしょうか?
もちろん、なんの証拠もなく名指しで他人を黒幕扱いした私も悪いと思いますが、それ以上の何かを感じました。
後で知ったのですが、その作文事件より以前にある人が某有力団体を批判する発言をしたため暴行拉致監禁されたという事件があったそうです。
私は教師がグルだと思っていたので、その作文が某有力団体の目に触れ、私を襲いにやってくるかもしれないと考えました。
恐怖というより割とノリノリでサスペンスごっこを楽しんでいました。
というわけで、毎日同じ行動を取らないように気をつけていたのでした。
結果としては私は危ない目に遭うことはなかったので、私の杞憂に終わったわけです。
今思うと、教師はグルではなく某有力団体から私を守ろうとしてくれたのかも知れません。
まあ某有力団体に狙われているというのは半分冗談ですが、私はいまだに黒幕は某有力団体だと思っています。
そんな当時のことを思い出しながら映画を観ました。
口は災いのもと、真実は危険を伴うという映画です。