第121回目はグレイテスト・ショーマンです。
*以降ネタバレ注意です。
正直な感想として、これほど美しい映画をこれまで観たことがないと思いました。
実在の人物P・T・バーナムの半生を描いています。
映画ではバーナムは貧しい仕立て屋の息子で、少年時代に上流家庭のお嬢さんチャリティに恋をしていました。
当然、身分が違うためにその恋は認められませんでしたが、鉄道会社や貿易会社などに勤めて財を成して、やっと結婚することができました。
子供にも恵まれ順風満帆でしたが、貿易会社の貨物船が全て沈没してしまい、会社は倒産しバーナムは職を失ってしまいます。
バーナムはなんとか銀行から融資を受けて博物館をオープンさせました。
しかし、客入りは乏しくバーナムはショービジネスへと切り替える事を思いつく。
果たしてバーナムのショーは成功するのでしょうか。
是非観てみてください。
さて、私は美しい映画と言ってしまいましたが、察するにこの映画は究極に美化された映画だとも言えると思います。
映画の中では華々しい歌とダンスが披露されるのですが、実のところはフリークスショー、いわゆる見世物小屋だったわけです。
ヒゲの生えた女性や小人症の男、長身、肥満、多毛症そして有色人種と日陰者を集めたショーでした。
バーナムのショーは興行的には成功するもののメディアの批判をはじめ、近隣住民の反対も激しかった。
映画上ではサラッと流している感じではありますが、現実では相当に差別を受けたのではないでしょうか。
しかし、フリークスとして差別を受けてきたショーの出演者は脚光を浴び、光の世界を実感していました。
それはバーナムが出演者に与えた景色であって、生きる希望となっていたのです。
客観的に見世物にするなんて酷いなという気持ちもなくはないですが、出演者にとっては居場所が与えられたということなのでしょう。
ところが、バーナムはフリークスショーでは上流階級に入り込めないということにジレンマを抱いていました。
所詮は見世物小屋の成り上がりというレッテルがバーナムにはつきまとっていました。
そこで、上流階級向けの劇作家フィリップをスカウトして、ショーのメンバーは英国王室に招待されることに成功します。
そこでバーナムは同じく英国に招かれたオペラ歌手のジョニー・リンドに出会い、彼女のアメリカ公演の興行主催を申し出る。
リンドの歌声にバーナムは本物の光を感じ、自分のショーが影の存在であることに気づいてしまいました。
このシーンが1番悲しいところでした。
この映画のテーマは差別であると思います。
人種差別であったり、貧富の差であったり、体格的な問題であったりします。
主催者であるバーナムでさえ、知らず知らずのうちに差別してしまう。
そんな時代と社会に反旗を翻す作品です。
日陰者扱いをされてきた人々が自らの存在と尊厳を歌に乗せて掲げる様は感動に値すると思います。
私はあまり映画で感動したりするたちではないのですが、この作品は結構来ました。
反差別を訴えるならばこういう作品が良いように思います。
もちろん美化し過ぎて入ってこないという意見もあると思いますが、暴動やら掠奪よりは生産的だと思います。
割合としてミュージカルパートが多いので、ミュージカルが苦手な人はキツいかもしれません。
そんな人にも、もしミュージカル映画を観る機会が出来たならグレイテスト・ショーマンをお勧めしておきます。
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映画と言うよりは一本の舞台を観たという感じにさせてくれます。
私にとってはグレイテストショーでした。