第66回目はダンス・ウィズ・ウルブズです。
*以降ネタバレ注意です。
1990年のアメリカ映画です。
戦闘の功績で赴任地を選択できるようになり、西部フロンティアのセジウィック砦を選ぶ。
ところが砦に到着してみると、そこには誰もおらず、たった1人で生活を始めることになる。
友だちは愛馬のシスコと砦に時々やってくる狼のトゥーソックスだけだった。
狼のトゥーソックスがこの映画の中で1番好きでした。
有名なのは迫力のバッファロー狩りのシーンですが、私はトゥーソックスが好きです。
やがてダンバーは本来なら敵となるはずのインディアンのスー族と交流し親交を深めるようになる。
という物語です。
最近では珍しくないですが、公開当時で言えば、大体の西部劇ではインディアンが悪者であるのが定番で、アメリカ人が悪者というのは少なかった。
ひょっとしたら、この映画が初めてだったかもしれない。
少なくとも私が観た映画の中では初めてだった。
そういう意味では私の中では革命的な映画であったと思う。
上映時間3時間と長めの映画ですが、ゆったりとアメリカの荒野の風景でも眺めるつもりで観ると良いと思います。
美しい風景、動物、スー族が時間を忘れさせてくれるかもしれません。
この映画には4時間バージョンがあるらしいのですが、残念ながら私は観たことがありません。
是非一度は観てみたいものです。
さて、インディアンという呼称ですが、私はネイティブアメリカンという言葉が嫌いでした。
「インディアンは差別用語なのでネイティブ・アメリカンと呼びます」という話があるのです。
インディアンはインド人という意味で、西洋人が勝手につけた呼称だからだそうだ。
でも、それも納得がいきません。
アメリカ人という呼称も西洋人が勝手につけたものだと思います。
インディアンの皆さんがネイティブ・アメリカンと呼んでくれというなら良いと思いますが。
どうもそうではないらしい。
それなら、後から来た方をイミグラント・アメリカン(移民アメリカ人)呼ぶのが妥当じゃないだろうか。
本来なら、インディアンをアパッチ族とかモヒカン族とか部族名で呼ぶのが正当だと思います。
呼び名などは上っ面だけの話で差別の本質は別にあると思います。
現在ではインディアンの皆さんはどんな生活を送っているのだろうか。
アメリカ人はインディアンに賠償責任があるのではないだろうか。
無責任で無関心な私は漠然とそんなことを思う。
もっと熱心に調べ、行動することもできるだろうが、そこまでの情熱はない。
侵略の歴史を知りつつも、遠い世界の話だと思っている。
ダンバーのように自らの目で相手を見て、わかり合う努力が必要だと思います。
それは全ての人種問題に言えることだと思います。
とかいいながら、私は当時のアメリカ人は人を人とも思わない話の通じない連中だと思っていますが。
バッファローも土地も命も、西洋人が奪ってしまったのです。
もっと平和的に入植できなかったものなんでしょうか。
最近ではインディアンの立場に立った映画もあるので、西部劇=インディアンが悪者という一辺倒な考えの人はいないと思いますが。
もしインディアンに関心があるなら、是非観て損はない映画だと思います。
最後に、この映画を私財を投じて制作したケビン・コスナー監督に敬意を表します。