第7回目はロッキーです。
出典eiga.com
*以降、ネタバレ注意です。
私は映画を観るにあたって、監督が誰だとか、脚本が誰だとか、ほとんど気にしない。
制作スタッフまで興味がないのである。
アニメで言えば声優にも興味はない。
しかし、このロッキーの脚本を書いたのが、主演のシルヴェスター・スタローンと知った時には、流石に驚いた。
私はスタローンを過小評価していた。
俳優としてだけではなく、脚本まで手掛けるなんて、なんて凄いんだろう。
などと、感心しながらもロッキーを今まで、完全に観たことがなかったのだ。
ボクシングを題材とした映画も初めてだ。
(あしたのジョーを除く)
ロッキーはボクシング映画というよりは、ロッキー個人の私生活を描いた下町人情ヒューマンドラマだ。
三流ボクサーのロッキーはファイトマネーだけでは生活できず、借金の取り立て人をして日銭を稼いでいた。
そんなチンピラともゴロツキともつかないロッキーの楽しみは、「ペットの亀」ではなく、ペットショップの店員のエイドリアンに粉をかけることだ。
エイドリアンは人見知りが激しく、なかなかロッキーと打ち解けられない。
ロッキーもエイドリアンも30歳らしいが、こんなウブな恋愛があるものだろうか?
繊細な恋愛模様をスタローンが書いているのかと思うと微笑ましく思う。
エイドリアンはロッキーと付き合う前はモジモジしているのだが、付き合いだすとデレデレになるモジデレキャラなのだが、私にはあまり受け入れられなかった。
好みのタイプではないのだ。
決してエイドリアンが30歳だからではない。
ロッキーをはじめとして、登場人物たちが私には馴染まなかったのである。
トレーナーのミッキーも、エイドリアンの兄のポーリーも私好みの人物像ではなかった。
自分勝手でどうしようもない連中だ。
しかし、それも最初のうちで、ロッキーと時間を共にするうちに成長していくのだ。
癖のある登場人物たちは全て計算されて、配置されていたのだ。
ロッキーはひょんなことからチャンピオンのアポロ・クリードの挑戦者に指名される。
千載一遇のチャンスである。
まさにアメリカン・ドリームだ。
トレーナーのミッキーはロッキーのセコンドに名乗りをあげ、ポーリーもロッキーを広告塔にして、一儲けを画策する。
ロッキーも激しいトレーニングに耐え、アポロとの対戦に臨み、底辺の人生からの脱出に賭けた。
このロッキーと周囲の人間の心情が共感をよぶのではないだろうか。
私自身も、この人生から抜け出したい。
しかし、私にはロッキーほどの根性も無ければ、ポーリーのようなたくましさもない。
この劣等感が登場人物を観ていられない原因だろうか。
ロッキーは映し鏡のような作品だ。
スタローン自身の姿を投影している。
無名の三文役者が自らの脚本でスターダムにのし上がったのだ。
まるでロッキーそのものである。
ロッキーはアポロに勝って、チャンピオンになりたいわけではない。
「最後のゴングが鳴っても立っていられたら、俺がゴロツキじゃないことを初めて証明できるんだ」
勝敗ではなく、ロッキーは自分の存在のために戦うのだ。
そして周囲の人間もロッキーに賭けた。
私もロッキーに賭けたい。
映画を観ているうちに、そんな風に思えてきた。
試合が始まるとアポロとロッキーの力量の差は歴然であった。
ロッキーが勝てる筈がない。
しかし、第1ラウンドでダウンを奪ったのはロッキーだった。
私のテンションは映画であることを忘れ、最高潮となった。
現実の試合でもそういうことは良くある。
そして試合は互角の勝負にもつれ込むのだ。
ロッキーは死闘の果てに何かを手に入れられたのだろうか。
ぜひ、ロッキーを観ていただきたい。
ところで、ロッキーはトレーニングに精肉店の冷凍庫に吊るされた牛肉をサンドバッグにするのだが。
私はこんな店の肉を買うのは嫌だ。
精肉店の宣伝にとロッキーのトレーニングをテレビ中継するのだが。
現代ならば、炎上間違いなしである。