カズマの一期一映日記

映画の感想と雑談

ミュウのキャリーケース

 

 

ミュウのキャリーケースが新しくなりました。

 

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(写真は本文と全く関係ありませんが、成長記録として貼っていきます)


前のキャリーケースは大分小さくなってしまったので、入ってもらうのに苦労します。

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そこでキャリーケースの上部が開くタイプに変えました。

写真と同型のキャリーケースにしました。


しかし、ミュウは上から入れようとしても両足を突っ張って、入る事を拒みます。

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必死に抵抗して最終的にはベッドの下に隠れてしまいました。

 


ミュウはお出かけが嫌いなのです。

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お出かけ先が9割近く病院なので、そのせいだと思います。

 


もうキャリーケースを見ただけで、逃げてしまいます。

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だからと言って、病院に行かないわけにも行きません。

 


1年目の混合ワクチンを射ってもらわなければいけません。

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何度も挑戦しましたが、毎回ミュウに逃げられてしまいます。

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そんな時ネット情報で、まず洗濯用ネットに入れてからキャリーケースに入れれば良いという話を入手したので、実戦することにしました。

 


洗濯用ネットには大人しく入ってくれましたが、キャリーケースを見た途端、信じられないくらいジャンプして逃げました。

 


まさか洗濯用ネットに入ったままでそこまで動けるとは想定外でした。

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しかし、ミュウも流石に移動がままならず、捕まえてなんとかキャリーケースに入ってもらうことに成功しました。

 


なるべく迅速に行動し病院に急ぎました。

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残念ながら、病院はあいてるもののいつも診てくれる獣医さんは休みだったので、代わりの先生に診てもらうことになりました。

 


ミュウはいつもの先生以外には心を許さないので、心配でした。

 


いざ診察の番になりキャリーケースから出して洗濯用ネットを開けるとミュウが

「シャー!」

と先生の顔を見た途端に威嚇しました。

 


仕方ないので、お尻だけネットから出した状態で診察とワクチンを射ってもらいました。

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「ウニャン!」

と短く呻いたミュウでしたが、暴れることもなく無事に診察は終了しました。

 


無理矢理病院に連れて行ったので、ミュウの機嫌が心配でしたが。

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ご褒美のちゅーるでご機嫌は回復したようです。

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今日は痛い思いをさせてゴメンね。

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エクソシスト

 

 

第120回目はエクソシストです。

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出典Amazon.co.jp


1973年のアメリカのホラー映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


物語は女優のクリス・マクニールの娘リーガン・マクニールが悪魔に取り憑かれ、悪魔祓い師(エクソシスト)のメリン神父とカラス神父が除霊にやってくるというストーリー。

 


私は子供の頃にテレビで観たことがありました。

 


記憶ではめちゃくちゃ怖かった印象で、今回も観るのをためらっていました。

 


ですが、流石に私も大人になっていたので、全然怖くありませんでした。

 


なぜかホッとしました。

 


しかし、記憶というのは曖昧なもので、悪魔に取り憑かれたリーガンのシーンしか覚えていませんでした。

 


記憶では全編悪魔との戦いだった気がしていましたが、神父と悪魔の決戦は後半の30分ほどでした。

 


そこまでに母親のクリスやカラス神父の人間ドラマがあって、なかなか面白い作品になっています。

 


70年代の映像は色あせた感じがしてホラーにピッタリだと思います。

 


古き良きホラーの原点として是非観てみてほしいです。

 


悪魔は悪魔で怖いのですが、個人的にはそこまでのドラマパートの方が怖かったように思います。

 


映画の冒頭はイラクの遺跡でメリン神父が発掘を行なっているシーンから始まります。

 


そこには悪魔の像が建っていました。

 


悪魔の像を見た瞬間、フラッシュバックを起こしました。

 


「あ、こりゃヤベー奴だ」

とゾッとしてしまいました。

 


実は私はなぜかエジプトの神様やメソポタミアの神様(悪魔を含む)が子供の頃からやたら怖かったのです。

 


この映画を恐れていた理由はコレでした。

 


続いてはクリスとリーガンがアメリカ版のコックリさんをするシーン。

 


何気ないシーンですが、こんな事をしているから悪魔に取り憑かれるんですよ。

 


という私にとっては薄ら寒いシーンです。

 


そして悪魔に取り憑かれ、別人の様になってしまったリーガンは病院に連れて行かれます。

 


医者は脳の側頭葉に異常があると誤診します。

 


検査のため血を抜かれたり、カテーテルみたいなのを通されたりします。

 


誤診なのに。

 


当然、異常は発見されず「じゃあ骨髄の異常かも?」とか言って骨髄液を取られます。

 


誤診なのに。

 


骨髄液を採取するのって危険じゃなかったでしたっけ。

 


医療ものが苦手な私はゾワゾワしっぱなしです。

 


当然骨髄からも異常はなく、今度は精神疾患だと診断されました。

 


しかも、医者から悪魔払いを勧められるのです。

 


それで正解なのですが、医者がする話ではないように思います

 


この病院、なんか怖くないですか。

 


前半の方がスリリングな気がします。

 


さて、悪魔に取り憑かれリーガンですが、迫真の演技です。

 


特殊メイクの効果もありますが、見応えがあります。

 


リーガンと神父との戦いは派手ではありませんが、緊迫感があって良かったと思います。

 


全体的にホラー的な怖さは薄かったように感じました。

 


母親や神父の心情を描いたヒューマンドラマとして観ることができます。

 


怖い映画を1つ克服できて良かったです。

 


子供の頃の印象って影響力が大きいんだなと思いました。

フットルース

 

 

 

第119回目はフットルースです。

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出典amazon.co.jp


1984年のアメリカ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


主人公は都会のシカゴから田舎のボーモントに引っ越して来たレン・マコーミック。

 


レンはよそ者扱いで町に馴染めずにいた。

 


その理由として町にはダンス禁止令という法律があり、ロックや有害図書の取締りが厳しく、都会育ちのレンには合わなかった。

 


町を取り仕切っているのが牧師のショー・ムーア、教会で音楽や文学が若者を堕落させると力説している。

 


レンはそんな町に息苦しさを感じて、ムーア牧師の説得を試みる。

 


という物語です。

 


私はこの映画でサントラというものを知りました。

 


サントラには大体2通りあって1つはBGM集で、もう1つが歌唱曲集です。

 


とりわけ私は、歌唱曲集が好きでした。

 


フットルース以外にもトップガンやスピードなどのサントラCDを持っていました。

 


映画と音楽が結び付くことで魅力が倍増する様に感じます。

 


中には作中に使用されていない楽曲もあったりするのですが、映画を思い浮かべながら聴くと印象が違うと思います。

 


全くイメージが合わない楽曲もあったりしますけど、感性の問題でしょうか。

 


何にせよ、映画がなければ聴くはずがなかった音楽に出会えたことは大変嬉しいことだと思います。

 


さて、フットルースは音楽とダンスが主題ですが、私はダンスとはほぼ無縁です。

 

 

 

せいぜいカラオケでDA PUMPのUSAを踊るくらいのものです。

 


現代の若い子は授業でダンスを習ったり、エンターテイメントではダンスメインのアーティストが増えているので、より身近に感じられるのではないでしょうか。

 


そんな音楽とダンスを町ぐるみで禁止してしまっているのです。

 


日本では信じがたいことですが、諸外国ではロックが禁止の国やラブソングが禁止の国なども普通にあるようなので、ない話ではないと思います。

 


日本でも一部の楽曲は放送禁止になっています。

 


因みに放送禁止楽曲が1番多いアーティストは梅宮辰夫だそうです。

 


だいぶ話が逸れましたが、映画の作中で音楽が禁止になった理由ですが、高校生が酔っ払い運転をして事故死したからだそうです。

 


…………ダンスと音楽、関係なくね?

 


と思ってしまいます。

 


禁止すべきはお酒ですよね。

 


厳密にはお酒に罪はなくて飲酒運転を取り締まるべきです。

 


しかし、ダンスといえばパーティー、パーティーといえば酒というわけで、巡り巡ってダンスが悪の温床だということになったようです。

 


これは発言力と影響力のあるムーア牧師の個人的な見解によるものですが、瞬く間の町中に波及してしまったようです。

 


はたから見ているとアホな考えの様な気がしますが、最近のアメリカを見ているとありえない話でもないなという気もします。

 


音楽にしろ映画にしろ犯罪に結びつけるのはどうかと思います。

 


抑圧された青春とその解放がこの映画の見どころです。

 


ムーア牧師もある意味抑圧されているのですが、音楽がそれを解放してくれるのでしょうか?

 


是非一度観てみてください

 

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80年代の音楽、ファッション、車などが楽しめる良い映画だと思います。

 


私は音楽や本に規制をかけるべきではないと思うので、ムーア牧師には賛同できませんが、ムーア牧師の娘は厳しく躾けた方が良いと思います。

 


娘はヤバい子です。

 


ところで、私の姪っ子が小学生の時の話ですが。

 


私が帰宅すると姪っ子が母親(私からみて義妹にあたる)に激しく怒られていました。

 


話を聞くと、姪っ子が残酷な歌を歌っていたからだったのです。

 


どうもYouTubeで聴いた曲なのですが、歌詞の中に女の子がトラックに轢かれて血みどろになるという歌詞が出てきます。

 


義妹は姪っ子が歌詞の意味も考えず大声で歌っていたことに腹を立てた様でした。

 


「どう思う?」

突然、義妹に意見を求められました。

 


私は咄嗟に答えました。

「ロックは規制できねぇぜ!イェーイ!」

 


私と姪っ子は激しく怒られました。

 


「子供に無制限にYouTubeを観られる環境を与えている親が悪いと思う」

と、一応まともな答えも返しておきました。

 


私は作品に規制をかけるべきではないと思いますが、親が子供に与えるものには責任を持つべきだと思います。

 


当然、見せるべきでないものは見せない様にすれば良いのです。

 


子供はそれをコッソリと観て大人になって行くものなのです。

 


子供に作品が悪影響をおよぼすかどうかも親次第だと思います。

 


それまでに出来るだけ見せるべき作品を一緒に観て、感性と人間性を育てていくべきだと思います。

 


それは親子の信頼関係だと思います。

 


最終的には子供の嗜好が勝つとは思いますけど。

 


子供を信じるしかないですね。

 


そして私はイケナイものをコッソリ、タップリと観て現在に至ります。

 

天気の子

 

 

第118回目は「天気の子」です。

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*出典amazon.co.jp

 


2019年の日本のアニメ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


主人公は家出少年の森嶋穂高

 


穂高はフェリーで東京にやってきたが、東京は異常気象でずっと雨が続いていた。

 


そんな土砂降りの雨の東京で「100%の晴れ女」天野陽菜と出会う。

 


陽菜は祈るだけで天気を晴れに変えることができる特殊能力を持っていた。

 


しかし、その能力には代償があった。

 


という物語です。

 


日本のアニメの王道的な作品です。

 


何をもって王道とするかは個人差があると思いますが、私の場合は少年がなんらかの経験を経て大人へと変わる物語だと思っています。

 


天気の子は正にその瞬間を描いた作品です。

 


世の中の表裏を描いていて、なかなか良くできた作品だと感じました。

 


例えば美しい背景がリアルに描かれていますが、逆にそれは幻想的であり、薄汚い東京の風景でもあります。

 


そんな中で、少年たちは犯罪に手を染めたり、人の為に何かをしたりして生きています。

 


その現実的な生活と神秘的な天気を絡ませたストーリーも面白いと思いました。

 


どうにもならないことも、どうにか出来るかもしれないというメッセージなのでしょうか。

 


少年たちの無鉄砲で無謀な判断が、ある意味感動的なのかもしれません。

 


愛するもののためなら犯罪もいとわないし、世界が滅んでもかまわないという考えを肯定する映画です。

 


私はこういう思考の作品の方が好感を持てます。

 


妙な自己犠牲よりはよっぽど共感できます。

 


人間は誰かの犠牲によって成り立っていると言えますが、誰かの犠牲にならない為に精一杯戦って生きなければならないのだと思います。

 


若い人が観ればみんな感動するのではないでしょうか。

 


大人が観るとやはり主人公が子供過ぎて、客観的になりすぎるかもしれません。

 


心が老いてしまわないうちに是非とも観ておいて下さい。


 


大人になってくると

 


家出しちゃダメだよ、とか

 


児童相談所に行こうよ、とか

 


線路に入っちゃダメだよ、とか

 


いろいろ考えてしまいます。

 


でも、少年にはそれよりも大事なことがあるということです。

 


それこそ天気すらも変えることができるのかもしれません。

 


年齢によって感じ方は違うかもしれませんが、良い作品だと思います。

 


ところで、この映画には新海誠監督の前作「君の名は」の登場人物が隠れキャラのように登場しています。

 


ついでにタイアップであるソフトバンクのお父さん犬も登場しているので探してみてください。

 


明確にされてはいませんが、「君の名は。」と同じ世界であり、その後を描いていると考えて良いのでしょうか。

 


君の名は。」との共通点として神様のいる世界であるということが言えます。

 


作品の特殊能力が神様由来というところが、少しズルいような気がしています。

 


特殊能力ものの作品の見どころの1つは、どうやってその能力を身につけたかというところにあると思うのです。

 


にもかかわらず、神様がくれた能力となるとあまり深みがないように感じます。

 


しかも2作連続で神様由来じゃないですか。

 


それに根本の雨が降り続ける理由も解明されません。

 


おそらく神様の気分ということなのだと思いますが、なんとなく設定が神頼みだという感じがしてなりません。

 


例えば「君の名は。」の〇〇の影響で異常気象になり、雨が降るようになりましたとかなら説得力があると思うのですが、どうでしょう。

 


やはり神様だから良いのでしょうか。

 


そんなマニアックな設定は必要なくて、恋愛や人生観を描くことに重点を置いた方が良いのでしょうか。

 


そうなのかもしれませんね。

 


特に登場人物の少年たちにとっては理由なんてどうでも良いことなのかもしれません。

 


大人になればなるほど理由が必要になってくるものなのですね。

 


私も無謀で無鉄砲な時代があったような気がします。

 


今はそんなふうになれませんが、そういう自分が懐かしかったりします。

 


今は遥か遠く、映画の中の世界です。

 


天気の子も雨の降る世界で立派な大人になって行くのでしょう。

 


今後も、この世界の続編が作られるなら、是非観てみたいと思いました。

 

 

 

君の名は。

 

 

 

第117回目は「君の名は。」です。

 

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出典Amazon.co.jp


2016年の日本のアニメ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


ここまでヒットしたアニメ映画はジブリ作品以外では珍しいことではないでしょうか。

 


私も劇場公開時の終盤の方で遅ればせながら鑑賞させていただきました。

 


純粋に面白くて良くできた作品だと思いました。

 


物語は東京在住の男子高校生、立花瀧岐阜県在住の女子高生、宮水三葉の精神と身体が入れ替わってしまうというもの。

 


もっと昔には「転校生」という作品で男女が入れ替わるというものがありました。

 


ドラマとかでも良くあるので、割と定番の設定だと言えるでしょう。

 


しかし、この作品はそこからもっとスケールの大きな物語に発展して行きます。

 


男女入れ替りは宣伝でも広く伝えられていたので、ご存知の人も多いかもしれませんが、もう一つ人気の定番要素が隠されていました。

 


ありきたりの設定と見せかけて、これは意外性があって、とても良かったと思います。

 


君の名は。」の広報担当は優秀だと思います。

 


私も後半部分については語らないので、是非観て欲しいと思います。


 


感動するかどうかはその人の感性にもよると思いますが、私はそこそこに感動しました。

 

 

 

まず背景が綺麗です。

 


都会の光景も田舎の風景もリアルに描かれていて、現実よりも幻想的に見えます。

 


写実的な中に神秘的な要素を編み込んでストーリーを構築しているので、視聴者は奇跡的事象を受け入れやすくなっているのではないかと思います。

 


入れ替りとかありえないことでも、絵の美しさに超自然現象を信じさせるだけのパワーを感じます。

 


それだけでも観る価値はあるように思います。

 


しかし、純真な心で観れば良い作品なのですが、心の荒んだ私にはいくつか納得のいかない部分もありました。

 


設定上、入れ替わり後の記憶が消えてしまうというのがあるのですが、ちょっと都合良く消えたり消えなかったりしているような気がします。

 


まあ、奇跡が起きたということなら仕方がありません。

 


宮水三葉の家は神社で、ある神様を祀っており、その神様の御利益というわけです。

 


その神様がある事件を回避する為に、入れ替り現象を起こしてくれているようなのですが、めちゃくちゃ回りくどいじゃないですか、もっと直接的な方法はなかったのでしょうか。

 


とか言ってしまうとこの作品を全否定してしまうので、やめておきましょう。

 


少し文句が出ましたが、面白いことには変わりないです。

 


綺麗な映像と印象的な音楽で名作の域に達しているように思います。

 


ところで、音楽を担当したRADWIMPSも一躍有名になりましたね。

 


私の周りでは知らない人もいたので、嬉しい限りです。

 


テーマ曲の「前前前世」も良い曲です。

 


映画は全然前世とは関係ないですが、良いミスリードだったと思います。

 


この映画でRADWINPSが好きになった人は是非ほかの曲も聴いてみて下さい。

 

 

 

ジョニーは戦場に行った

 

 

 

第116回目は「ジョニーは戦場に行った」です。

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出典Amazon.co.jp


1971年のアメリカ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


ふぅーーーーーーーーーーーーーーーっ

 


ついにこの時が来てしまったか。

 


私にとっては「ジョニーは戦場に行った」はあらすじを聞いただけで、トラウマになりそうな映画でした。

 


そのため、何年も観ることをためらって来ました。

 


そんなにイヤなら観なけりゃ良いじゃん!

 


と、言われればその通りなのですが、なぜか私の中では避けては通れない様な気がする作品だったのです。

 


そもそも私と「ジョニーは戦場に行った」との出会いは高校生の頃に遡ります。

 


その頃、メタリカというバンドの「One 」という曲にハマっていました。

 


その曲を演奏するために私はバンドを組み、ベースを担当することになりました。

 


「One 」のビデオクリップはとてもカッコ良く、私はたちまち影響を受けてしまったのです。

 


ビデオクリップの中では演奏シーンに加えて、映画のシーンが途中途中に挿入されていました。

 


その映画こそが「ジョニーは戦場に行った」です。

 


「One」いう曲は「ジョニーは戦場に行った」にインスパイアされて作られた曲だったのです。

 


歌詞も曲も映画の雰囲気を踏襲していると思います。

 


歌詞を読んだだけで私は恐ろしくなりました。

 


私は戦争映画はあまり得意ではないのですが、これは最悪の作品だと感じました。

 


そう思えば思うほど目を逸らすことができなくなりました。

 


ある日、私は図書室で「ジョニーは戦場に行った」の小説を発見しました。

 


せっかくなので読んでみようかなと思ったのですが、なぜかその本が異様な悪臭を放っていたのです。

 


イメージでは病院の匂いでした。

 


私はますます恐ろしくなり、この映画をながらく封印することとしました。

 


さて、その映画のあらすじですが、主人公はアメリカ人のジョーです。

 


ジョニーではなくジョーです。

 


ジョーはアメリカ人でしたが第一次世界大戦に参戦するために志願兵となりました。

 


恋人や家族を故郷に置いて戦場に向かいましたが、あっけなく敵の迫撃砲で吹っ飛ばされてしまいます。

 


そしてジョーは両手、両足、目、鼻、耳、口を失ってしまいます。

 


五感のうち、視覚、聴覚、嗅覚、味覚を失い触覚だけがジョーを外の世界へとつないでいました。

 


ジョーは喋ることも出来なかったので、自分の意識が回復していることすら伝えることができません。

 


医師たちはジョーは脳死状態だと診断していました。

 


ジョーは首を動かすことができましたが、それは筋肉の痙攣だと判断されていました。

 


ジョーは医師たちに研究材料として生かされているのです。

 


食事や呼吸もチューブから摂取している状態です。

 


永遠の暗闇と静寂の中で、ジョーはこれまでの人生の回想を長い走馬灯の様に回顧します。

 


果たしてジョーは自分の意思を伝えることができるのでしょうか?

 


興味のある方は観てみて下さい。

 


原作はダルトン・トランボが書いた同小説で、発表当時は第二次世界大戦中だったそうです。

 


あまりにも反戦色が濃かったために発禁処分になり、トランボ自身も投獄されたりしたそうです。

 


のちに自らの脚本、監督で映画化したそうです。

 


因みにしばらく映画界から追放されていたトランボですが、「ローマの休日」の原案者でもあります。

 


才能のある人物なんですね。

 


戦争シーンはほとんど無いのですが、戦争の恐ろしさが伝わる映画です。

 


そういえばこの映画にもイエス・キリストがチョイチョイ出てきます。

 


ジョーが過去を振り返るのですが、夢と現実が交錯しているようです。

 


あまり宗教的な要素は濃くはありませんが、アメリカ人の宗教観や生死感をいい感じで表現していると思います。

 


ところで、日本にも江戸川乱歩の小説で「芋虫」という作品があります。

 


ジョーと同じような境遇の日本人の話です。

 


私は読んだことがありませんが、恐ろしい話を思いつく人がいるものだと感心してしまいます。

 


2010年に「キャタピラー」というタイトルで映画化されています。

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出典Amazon.co.jp


調べたところによると「芋虫」と「ジョニーは戦場に行った」をミックスしたオリジナルストーリーだそうです。

 


せっかくなのでついでに観てみました。

 


舞台は日中戦争中の日本で、両手足と聴覚、言葉を失った帰還兵の夫を介護する妻の物語です。

 


こちらの方が生々しくドロドロして残酷であるように思えました。

 


舞台が日本だからでしょうか?

 


こちらを観ると「ジョニーは戦場に行った」の方が美化されているような気がします。

 


同じ題材でありながら、正反対の作風で印象も真逆になるような感じがしました。

 


とにかく、どちらも私にとってはトラウマになりそうな作品なのでした。

 


一度観てしまえば、もう平気ですけどね。

 


それでも、もしかしたら戦争や事故などで、ジョーと同じような境遇になってしまったらと考えると恐怖でしかありません。

 


興味があればどちらも観てみてはいかがでしょうか。

 


ついでにメタリカの「One」のビデオクリップもYouTubeにあるので観てみて下さい。

 


・・・ーーー・・・ ・・・ーーー・・・

 


・・・ーーー・・・ ・・・ーーー・・・

 


・・・ーーー・・・ ・・・ーーー・・・

 


・・・ーーー・・・ ・・・ーーー・・・

 


・・・ーーー・・・ ・・・ーーー・・・

 


・・・ーーー・・・……………。

ベン・ハー

 

第115回目はベン・ハーです。

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出典Amazon.co.jp


1959年のアメリカ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


私には観たい映画は山ほどあるのですが、観だすとキリがないので、ある線引きをしています。

 


1つ目はモノクロ映画は観ない。

 


2つ目は舞台が紀元前(厳密には紀元前1世紀より前)のものは観ない。

 


もちろん、それでも観たいものは観るのだけれど、なんとなく観るかどうか迷う時は避けています。

 


モノクロで見たといえば、ローマの休日とロリータとバルジ大作戦くらいでしょうか。

 


紀元前が舞台の映画も神話系とか創世記やら十戒やらと割と見たりするので、あまり意味がない線引きかもしれません。

 


どちらかというと紀元後の映画を充実させたいという感じです。

 


私は歴史が好きなので、西暦元年から現代まで映画で追体験できれば面白いなーなどと考えています。

 


そんなわけでベン・ハーは舞台が西暦1年から30年くらいが舞台なので、私にとっては記念すべき歴史の1ページ目の作品です。

 


さて、映画の内容ですが、主人公はユダヤの王族のジュダ・ベン・ハーです。

 


当時のユダヤはローマの支配下にありました。

 


その中でもベン・ハーは良い暮らしをしていました。

 


おそらくローマに協力的だったのだと思われます。

 


ベン・ハーには幼馴染みで親友のメッサラという男が居ました。

 


メッサラはローマ人で14歳までユダヤの地で暮らし、ローマに帰ってからローマ軍の司令官へと出世します。

 


再び、軍司令官としてユダヤの地に戻ったメッサラはベン・ハーに協力を求めますが、ベン・ハーは同胞を売ることはできないと拒否してしまいます。

 


そのことがキッカケでベン・ハーとメッサラの友情に亀裂が入ってしまいます。

 


そんなある日、ローマから新しい総督が赴任してきました。

 


総督のパレードを屋敷の屋上から眺めていたベン・ハーと妹のティルザですが、総督を見ようと身を乗り出した時、屋根瓦が総督目掛けて落下してしまいます。

 


すぐさまベン・ハーの一家は総督暗殺未遂の罪で逮捕されてしまいます。

 


ベン・ハーは事故であり無実であるとメッサラに弁護を頼みますが、拒否されてしまいます。

 


こうしてベン・ハーは罪人としてガレー船の漕ぎ手となります。

 


ベン・ハーの母と妹は投獄されることとなりました。

 


ベン・ハーはメッサラに復讐を誓います。

 


果たして・ベン・ハーは復讐を遂げられるのでしょうか?

 


ベン・ハーの運命やいかに。

 


という物語です。

 


212分と長めの映画ですが、退屈せずに観ることができました。

 


よく目にするあらすじでは、ベン・ハーが裏切ったメッサラに復讐する物語とありますが、どちらかというとベン・ハーの方が悪い気がします。

 


メッサラが支配者層でベン・ハーが被支配者層であるという自覚が足りなかったのではないでしょうか。

 


もちろんユダヤの同胞を守りたいというのは解りますが、反乱分子を隠匿するのは罪深いと思います。

 


実際はどうであれ、あくまでメッサラに協力する姿勢でなければならなかったでしょう。

 


ローマの庇護のもとで贅沢をしているのだから、致し方ないと思います。

 


それを幼馴染みのメッサラと同等の立場であるかの様に考えたベン・ハーの考えが甘かったと思います。

 


もちろんメッサラも心の狭い人間だと思いますし復讐されても文句もいえないでしょう。

 


さて、一方この物語はイエス・キリストの誕生から処刑までの話でもあります。

 


イエス・キリストがチョイチョイ出て来ますが、キリスト教について何も知らない人が観ると訳が解らない作品です。

 


復讐にどっぷり浸かったベン・ハーの魂をキリストが救済するということなのですが、ある程度キリスト教に理解がないと納得のできないラストではないでしょうか。

 


キリスト教の知識がある人にはピラトだとかバルタザールなんて人物が出てきてより楽しめると思います。

 


映像的には衣装やセットなどフィルムの古さも相まって抜群の出来だと思います。

 


残念ながら、ガレー船の海戦シーンはかなりミニチュア感が激しく、チャチさが目立ちます。

 


もう少し迫力のあるシーンが欲しかったです。

 


ベン・ハーといえば戦車競走のシーンが有名です。

 


ベン・ハーとメッサラが命がけで戦うのですが、まさかのスポーツで決着です。

 


競走中に死んでも罪に問われないということなので、合法的に復讐出来るというわけです。

 


メッサラもベン・ハーを迎え撃つために凶悪な装備の戦車で競争に臨みます。

 


勝敗の行方はどうなるのでしょうか?

 


映画史上に残る文句なしの迫力の名シーンです。

 


大富豪から奴隷に転落し、戦車競走に繋がるまでの波乱万丈の人生が、この映画の見どころです。

 


西暦の始まりの原点の物語なので、是非一度観てみて下さい。