カズマの一期一映日記

映画の感想と雑談

ロミオ+ジュリエット

 

 

第99回目はロミオ+ジュリエットです。

f:id:kazuma_kazama:20200313022712j:image

出典amazon.co.jp


*以降ネタバレ注意です。

 


1996年のアメリカ映画です。

 


シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が原作で台詞もそのまま使われているらしい。

 


私は本場の「ロミオとジュリエット」は観たことがありません。

 


知っているのは童話にアレンジされたものだけでした。

 


本格的なものはこの「ロミオ+ジュリエット」が初めてです。

 


ただしこの作品は14世紀ではなく現代劇にアレンジされています。

 


舞台もイタリアではなく、南米ブラジルになっています。

 


なかなかの違和感です。

 


架空の町ヴェローナ・ビーチの二大ギャング、モンタギュー家とキャピュレット家の抗争という設定になっています。

 


現代劇にするのは良いとして、なんでブラジルなんでしょうね。

 


イタリアのマフィア抗争で良かったんじゃないでしょうか?

 


ロケ地の問題でしょうか?

 


有名な話なので、あらすじはご存知の方も多いと思いますが、簡単に書いておきます。

 


モンタギュー家のロミオは仇敵キャピュレット家の仮装パーティーに忍び込み、そこでキャピュレット家の娘ジュリエットに一目惚れします。

 


その翌日、密かに結婚式を挙げるロミオとジュリエットですが、抗争によりロミオはジュリエットの従兄弟のティボルトを殺害してしまいます。

 


ロミオは追放刑となってしまいます。

 


一方のジュリエットは親の決めた婚約者と結婚することになります。

 


そこで、ロミオとジュリエットの結婚式を行ったロレンス神父は一計を案じます。

 


しかし、それが文学史上最大の男女のすれ違いとなってしまいます。

 


さて、この物語は悲劇なのですが、私はあまり悲しくは思いませんでした。

 


こういうのをなんと言えば良いのか解りませんが、非常に残念な気持ちになりました。

 


結末が酷いので、むしろ怒りさえ覚えます。

 


それほど良い作品ということです。

 


出来が悪くて残念というのではありません。

 


若さゆえのあやまちとしか言いようがありません。

 


それ故に、この結末を認めたくないのです。

 


最初から結末は知ってましたけどね。

 


そのほか、全体的には違和感の多い映画でした。

 


まず、ギャング設定ですが、登場人物がどいつもコイツもチンピラです。

 


ゴッドファーザー的な渋めのマフィアなら似合うと思うのですが。

 


マフィアの抗争というよりは、本当にチンピラの喧嘩です。

 


そうなってくると、ロミオもチンピラに見えて来ます。

 


銃撃戦もコミカルでコメディっぽいです。

 


一方、ジュリエットはめちゃくちゃ美人です。

 


女優はクレア・デインズですが、ジュリエットを演じるに相応わしいでしょう。

 


ロミオはレオナルド・ディカプリオです。

 


2人が水槽越しに出会うシーンは美しい。

 


そりゃ、一目惚れしますわ。

 


こんな可愛い娘をモンタギュー家のチンピラ小せがれにやれるものかと思ってしまいます。

 


ロミオ目線で映画を観ればいいのですが、

私はジュリエットパパの目線で観てしまったので、ロミオを許すわけにはいきません。

 


パパの言う通り、マトモな男性と結婚した方が良いと思います。

 


時代が中世なら、そうは思わなかったかもしれません。

 


私がジュリエットパパなら、ロミオをショットガンで吹っ飛ばしているところです。

 

 

結婚で両家の仲を取り持つどころか、全面戦争です。

 


それから、ロレンス神父もタトゥーが入っていて、薬物を調合しているので、そのスジの人にしか見えません。

 


そんなこんなで、感動するはずが、ちょっと気持ちが削がれてしまいました。

 


映画自体は面白いですし、一見の価値はあると思います。

 


できれば、ちゃんとしたロミオとジュリエットを観てからの方が良いような気がします。

 


まあ、ジュリエットが可愛いので、ぜひ観て下さい。

 


ところで、モンタギュー家とキャピュレット家は何故、代々仲が悪いのでしょうか。

 


勝手に想像してみました。

 


ここからは私の妄想です。

 


モンタギューとキャピュレットはその昔は仲良しの親友同士でした。

 


しかし、お互いの名前を変だと思っていました。

 


そこでキャピュレットはモンタギューに

 


門田牛(モンタギュウ)というあだ名をつけました。

 


モンタギューも負けじとあだ名を考えキャピュレットの語感から、

 


カプリチョーザ(気まぐれ屋)とあだ名をつけました。

 


それ以来両家の仲は険悪になってしまいました。

 


そんな些細なことが巡り巡って、こんな悲劇になるなんて……。

 


いや、私の妄想なので、気にしないで下さい。

 

本当の敵は誰か?

 

 

最高のニュータイプは誰か?

 

 

 

f:id:kazuma_kazama:20200306010424j:image

出典Amazon.co.jp


と聞かれたら誰を想像しますか?

 


大概の人はアムロと答えるのではないでしょうか。

 


私は、ミライと答えることにしています。

 


理由としては鈍重な戦艦でミサイルやビームを避ける感の良さです。

 


機動性の高いモビルスーツならともかく、ホワイトベースで行うって凄くないですか?

 


しかし、それは些細なことなのです。

 


ニュータイプとは戦争をしなくてすむ人たちのことなのです。

 


最強のニュータイプアムロかもしれませんが、戦争から足を洗ったミライの方がニュータイプとして優れていると考えられます。

 


最強ではなく最高のニュータイプと質問したところが、ひっかけというかミソなのです。

 


さて、二十代の頃、私はプレイステーションガンダムゲームをプレイしていました。

 


キャラクターメイキングをしている時、ニュータイプかオールドタイプにするか選べました。

 


ニュータイプの方がサイコミュ兵器を使えるので、当然のように私はニュータイプを選択しました。

 


あれ?

 


「これってニュータイプを兵器として考えていることだよな」

 


そこで私はガンダムに秘められたメッセージに気づいたのです。

 


ガンダムには様々な錯誤が隠されています。

 


地球連邦政府は主人公側なので正義のようですが、スペースノイドに圧政を強いているので、悪と言えます。

 


ジオン公国はその虐殺ぶりから悪と見て間違いないですが、スペースノイドの独立という意味では正義を持っていたかもしれません。

 


連邦が正義、ジオンが悪というのは錯覚に過ぎません。

 


ましてやアムロは正義とは無縁ですし、シャアは私怨の虜です。

 


平たく言えば、どっちもどっちというところです。

 


しかし、シャアには本当の敵がいたのです。

 


「本当の敵はザビ家ではないのか?」

アムロの問いに

 


「私にとっては違うな!」

とシャアは返します。

 


では本当の敵とは誰なのか?

 


これは私の私見なので異論はあると思いますが、お答えします。

 


終盤のシャアのセリフですが

 


「君は素直にニュータイプの有り様を示しすぎた……だから私は君を殺す!」とアムロに言います。

 


少しシーンが跳んで

「貴様が最強の兵だからだ!」

アムロに言うセリフが次にきます。

 


私が鈍いだけで、皆さんには分かりきった話かもしれませんが、続けますね。

 


アムロ=最強の兵=ニュータイプ

 


この方程式をシャアは野放しには出来なかったのです。

 


アムロを殺さなければ、ニュータイプが最強の兵器として利用される未来をシャアは予見していたのです。

 


その後の作品「機動戦士Zガンダム」以降には間違いなくそのように描かれています。

 


ニュータイプへの革新で人類は平和を迎えるはずが、戦争の道具にされてしまうのです。

 


それは阻止しなければなりません。

 


つまり、真の敵とはアムロだったのです。

 


嘘です。

 


真の敵はニュータイプを兵器、戦争の道具としてしか見れない人間だったのです。

 


つまり私のような人間だったのです。

 


さらに言うなれば、アムロを最強だから好きだとか、ニュータイプは強いからカッコいいなんて言っている視聴者に監督富野由悠季は「そう言う考えは危険だ」とメッセージを送っていたのです。

 


分かっていたよと言う人には、勿体ぶった話をしてすみませんでした。

 


でも、私の周りにはこんな風に言う人はいませんでした。

 


きっとこれが正解だと私は信じています。

 


富野由悠季という人はそこまで考えて作品を作る人なのです。

 


それほどガンダムは驚異的な作品だったのです。

 


その考えに到った時、初めて私の中でガンダムが至高の作品となりました。

 


是非とも次にガンダムを観る機会がありましたら、シャアを応援しながら観てみてください。

 


以上で、私がいかにシャアが好きかという長い話は終わりです。

 


1年後くらいにZガンダムについて、また語りたいと思います。

 


いったん、おしまい。

ヘルメットが無ければ即死だったけど……ヘルメットが有ったから全然平気編

 

 

今回はガンダムⅢめぐりあい宇宙編の感想を書きたいと思います。

 


最後の最後まで語りますので、まだ観ていない人は*ネタバレ注意です。

 


この作品を私は子供の頃に映画館で観ました。

 


なるべく初めて観た時の感想と感動を伝えたいと思います。

 


映画館にはガンダムのポスターが2枚貼ってあって、1枚はア・バオア・クーアムロ

 


もう1枚はガンダムのラストシューティングといわれるもので、ガンダムの頭と左腕がなくなっている状態のものでした。

f:id:kazuma_kazama:20200305001727j:image

出典amazon.co.jp


それは私にはショッキングなポスターでした。

 


実は私はこの時、ガンダムのラストを知らずに映画館に来ていたのです。

 


ラストどころかめぐりあい宇宙編の部分は初見だったのです。

 


私は映画を観る前から、一気にテンションが上がりました。

 


主人公が窮地に陥ると燃えますよね。

 


さて、私がアムロよりもシャアが好きな理由は、テレビシリーズをとびとびでしか観たことがなく、いきなり「めぐりあい宇宙」だったので、アムロに思い入れがなかったことが原因です。

 


映画のアムロは非情で容赦がなく、病気の父を見捨て、他人の彼女にチョッカイを出す、ろくでもない人間です。

 


守るべき人も家族もいない、人を愛してもいないのです。

 


そんなアムロを私は好きにはなれませんでした。

 


一方で、シャアといえば、諸悪の根源である地球連邦と戦いつつ、父の仇であるザビ家とも戦っている孤高の戦士という感じです。

 


そして恋人のララァアムロに殺されてしまいました。

 


主人公の要素としてはシャアの方が揃っているように感じます。

 


この時点で私はアムロよりもシャアの方が好きになっていました。

 


私がアムロとシャアの戦いで、唯一敗北を認めてもいいと思っているのが、ララァが死んだ時のみです。

 


私は一応ララァのおかげで引き分けであると考えていますが、シャアはこの時、死を覚悟して、敗北を認めています。

 


この時、アムロララァは愛し合っていたと考えている人がいますが、私はそれを断固否定させていただきます。

 


それはニュータイプ同士の共感であり、

愛ではありません。

 


もちろん初めて観た時は私もララァアムロの浮気だと思っていました。

 


だから私は長い間、ララァが好きではありませんでした。

 


しかし、大人になってから、それが愛ではなく共感であると解釈できるようになったのです。

 


さて、物語終盤で遂にアムロとシャアの決戦です。

 


ガンダムジオングの戦いは主題歌「めぐりあい」の効果もあって、感動すら覚えます。

 


まさに死闘です。

 


ジオング本体は若干間抜けなやられ方をしますが、最後はアニメ史に残る壮絶な相討ちとなります。

 


それからアムロとシャアはモビルスーツを捨てて戦います。

 


過去にそんなロボットアニメがあったでしょうか?

 


私にとっては主役メカが物語の途中で撃墜されるなんて初めての衝撃でした。

 


そして先ず舌戦から始まります。

 


「貴様がララァを戦いに引き込んだ!」

アムロが叫ぶ。

 


ララァを殺しておいて責任転嫁か!

 


ララァを殺してごめんなさいくらい言って欲しいぜ!

 


私は憤る

 


「それが許せんというのなら間違いだな。戦争がなければ、ララァニュータイプの目覚めはなかった」

悲しみをこらえて、シャアは答える。

 


銃撃戦を経て、剣での戦いになる。

 


この時、私は感動で吐きそうだった。

 


2人はすでに戦争から離脱して、ララァの弔い合戦、私闘になっていると思いました。

 


戦争の大義名分なんかより、人1人の命の方が重要なのです。

 


戦争そっちのけで痴話喧嘩です。

 


衝撃的な生々しい戦いです。

 


そして遂に決着がつきました。

 


アムロの剣はシャアの額をかすめ、シャアの剣はアムロの右腕を貫きました。

 


そしてトドメのセイラクラッシュで、アムロは戦闘不能、戦意喪失です。

 


勝った。

 


シャアが勝った。

 


シャアはアムロに同志になれと誘いますが、爆風に阻まれてしまいます。

 


シャアが敗者に手を差し伸べるところも感動的です。

 


その後シャアはザビ家最後の生き残りキシリアを倒して、仇討ちを果たして行方不明に。

 


アムロは絶体絶命かと思えば、なんとかガンダムにたどり着き仲間たちのところへ帰ることができた。

 


カツ・レツ・キッカの3人の子供たちにニュータイプの兆候が現れ、希望のあるラストとなった。

 


映画館の帰り道に私は感動しすぎて、無言になりシャアとアムロの戦いを忘れないように脳内リピートし続けた。

 


しかし、そこには大きな勘違いがあったのです。

 


ガンダムの本当の敵は別にいたのです。

 


その正体に気づいたのは、それから約10年後、大人になってからの話でした。

 


次回はガンダムの真の敵について語りたいと思います。

 


つづく

 

 

 

機動戦士ガンダムⅢめぐりあい宇宙編

第98回目は機動戦士ガンダムⅢめぐりあい宇宙編です。

f:id:kazuma_kazama:20200304150831j:image

出典Amazon.co.jp

 


1982年のアニメ映画です。

 


*以降ネタバレ注意です。

 


前作、哀戦士編でみごとに戦士として成長したホワイトベースクルーたちは、再び宇宙へと向かいます。

 


冒頭のキャメル艦隊との戦いは、ホワイトベース隊がいかに戦場慣れしているかということをマザマザと見せつけてくれます。

 


このキャメル艦隊を指揮官はドレン大尉で、1作目ではシャアの部下でした。

 


それがムサイ3隻を指揮下に収めているので、もの凄く出世しています。

 


出番は少ないですが味があって、好きなキャラです。

 


さて、ホワイトベースは一路、中立コロニーのサイド6に向かいます。

 


そこで様々な出会いと別れがあります。

 


アムロの父、テム・レイとの再会と決別。

 


それから、終盤にきて恋愛要素が出てきます。

 


ホワイトベース艦長ブライト・ノアと操舵士のミライ・ヤシマ

 


ミライの許嫁のカムラン・ブルーム。

 


そして、ミライが想いを寄せるスレッガー・ロウ

 


ここは四角関係です。

 


そして、アムロララァの運命的な出会いが待っていました。

 


この出会いが物語の核心につながります。

 


ララァはシャアの部下であり恋人でもありました。

 


つまりアムロララァは敵同士だったのです。

 


ガンダムの世界にはニュータイプと呼ばれる人たちが存在します。

 


宇宙に出たことにより、感覚が研ぎ澄まされ、人と人とが共感しあえるというのです。

 


時にそれはテレパシーのようなものであり、アムロララァは戦場で意識を交流させてしまう。

 


それはニュータイプ同士の共感であり、

人は「解りあえる」という証明でもありました。

 


しかし、アムロララァは敵同士だった。

 


本来なら殺し合うことなどなかったのである。

 


終盤にやっと物語の本質が明らかにされます。

 


ジオン・ズム・ダイクンという人物がスペースノイドニュータイプへの革新を説き、地球からの独立を主張した。

 


しかしダイクンはザビ家に暗殺(諸説あり)され。

 


ニュータイプは地球に住む者よりも宇宙に住む者の方が優れている。

 


だから、地球を宇宙に住むものが支配する。

 


という考えにザビ家によって、すり替えられたのだ。

 


それが戦争の発端になっている。

 


本来、ニュータイプとは戦争をしなくていい人たちのことを言うのです。

 


それを戦争に利用したザビ家は倒さなければならない。

 


アムロもシャアも打倒ザビ家は同じはずなのに敵味方に分かれて戦っています。

 


解りあえれば共闘することも可能だったかもしれません。

 


しかし、物語は最悪の悲劇を迎えます。

 


果たして、本当に戦うべき真の敵とは誰なのでしょうか?

 


ニュータイプの革新は訪れるのでしょうか?

 


是非、見届けてみてください。

 


現在までガンダムの人気が続いている理由が判るかもしれません。

 


長くなりそうなので、次回に私の感想と解釈を書いてみようとおもいます。

 

 

つづく

哀労働者編

 

 

以前、私は工場で働いていた。

 


工場長という立場で工場を仕切っていました。

 


工場にはなかなか個性的なメンバーが揃っていました。

 


そしてふと思ったのですが、工場のメンバーがホワイトベースのクルーに似ていると気づいたのです。

 


1番若く、スタンドプレーが目立ち、それでいて技術もあり才能もある工場のエースであるS君はアムロ

f:id:kazuma_kazama:20200303001535j:image

出典amazon.co.jp


文句が多く少し捻くれもののT君はカイ。

 


チョットS君にライバル心を持っているM君はハヤト。

 


目立ちはしないが、万能選手のY君はジョブ・ジョン

 


そんなふうに勝手にホワイトベース隊を指揮して楽しんでいました。

 


ある時、飲み会の席で密かに私がそんなふうに思っていることを披露しました。

 


「じゃあ工場長はなんなんですか?」

S君が私に聞いて来た。

 


「私は……シャア!」

 


一同

「シバクぞ!」

 


「嘘です。ブライトです」

というと、それなりに納得してくれたようでした。

 


そんなある時。

 


仕事で私はS君に5番の仕事を頼んでおいた。

 


そして私の予想通りに5番の商品の注文が入って来た。

 


5番ならS君が既に仕上げているはず。

 


ところがどっこい。

 


S君は私の指示を無視して4番の仕上げをしていたのだ。

 


社長は激怒し、特に指示を無視した事にご立腹だった。

 


当のS君は5番の商品より、4番の商品の方が需要があるので、自己判断で行動した。

 


と謝るでもなく、自分の正当性を主張していた。

 


とりあえず社長からS君の身柄を引き取り、ブリッジ(工場長の机)に連れていった。

 


工場長として説教しなければならない。

 


S君は自分は悪くないと言い続けていた。

 


そこで私は

ガンダムアムロが命令を無視してガンタンクで出撃した話を覚えていますか」

 


「……?ハイ……」

S君は気のない返事を返した。

 


「そのあとグフが来ましたよね。言いたいことが解りますか?」

 


「その説明は良く判ります」

S君はそこでハッとなった。

 


「作業員は会社全体を見渡せるわけじゃないんだ!命令は絶対守れ!ガンダム(工場のメインの機械のこと)から降ろすぞ!」

私はブライトの真似をしながら、S君を叱った。

 


「すみません。ガンダムから降ろさないで下さい。僕が1番ガンダムを上手く使えるんです」

そう言ってS君は初めて謝った。

 


ふざけているようだが、一応大真面目に仕事はしています。

 


仕事終わりに、プライドの人一倍高いS君をフォローしようと声をかけました。

 


S君は他の誰にも真似できない才能を持っている、この会社のエースであることを伝え、つまらないことで自分の評価を下げないように頑張って欲しいというようなことを言った。

 


「この会社の商品を私は世界一だと思っている。だからS君は世界で2番目のマイスターですよ」と私はS君を褒めた。

 


「……じゃあ1番は誰なんですか?」

すかさずS君が聞いてきた。

 


ヒューっと口笛を鳴らして、私は自分を指差した。

 


これは昔の特撮「快傑ズバット」の真似なんだけど若いS君には伝わらなかっただろう。

f:id:kazuma_kazama:20200303001932j:image

出典amazon.co.jp


「チクショー!聞くんじゃなかった!」

S君は悔しそうにしていたが、いつものS君に戻っていた。

 


それからしばらくして、新入社員が面接に来ることになった。

 


チャラくてイケメンの肉体派で女好きときたので、私は即座に採用を決定した。

 


そして彼は私にスレッガーと呼ばれることになりました。

 


めぐりあい宇宙編に つづく

 

 

 

 

グフ大地に立つ編

実は私は最初からガンダムを知っていたわけではありません。

 


初めて観たのはすでに19話目でした。

 


しかもガンダムとは知らずに観ていたのです。

 


友人宅で遊んでいる時、何気なくテレビに目を向けました。

 


アムロが砂漠を彷徨っているシーンで、なんのアニメかサッパリ解りませんでした。

 


そのあとテレビは気にせずに友人と遊んでいたのですが、テレビが騒がしくなって来ました。

 


再びテレビに目をやるとガンダムとグフが対決していました。

f:id:kazuma_kazama:20200302004749j:image

出典amazon.co.jp

 


もちろん私はガンダムなど知りませんでしたが、画面に釘付けになりました。

 


グフがガンダムのシールドを真っ二つに切り裂きます。

 


しかしシールドの後ろにガンダムはいない。

 


ガンダムはすでに上方へジャンプしていた。

 


その瞬間、私の心臓はキューッと締め付けられ、立ちくらみがするほどになりました。

 


ガンダムとグフの対決を棒立ちで見届けた私は、

 


「帰る」

 


と言って、逃げるように走って帰りました。

 


おそらく友人は私に何が起こったかわからなかったでしょう。

 


家に帰った私は畳に倒れ込み、ガンダムとグフの対決を脳内リピートしました。

 


何度も何度も。

 


あまりのカッコ良さに鼓動が高まり、心臓が破裂しそうになっていたのです。

 


よく昔のラブコメなどでイケメンを見て女性が失神するシーンがありますが、それに近いものがあります。

 


宇宙戦艦ヤマトでもこんな気持ちになったことがない。

 


それから私はガンダムにハマったというわけです。

 


仲間内では遅い方で、しかも再放送でした。

 


しかし友人や妻、トニーたけざきも初めて観たのは19話目からだったというので何だか不思議でした。

 


それから大人になり、私が結婚して数年経った頃です。

 


同じくガンダム好きの友人が

「結婚相手に求める条件はなに?」

と聞いてきたので

 


ガンダムが好きかどうか」

と私は答えました。

 


半分はネタですが、真意は同じ趣味を共有できるかどうかということです。

 


できればガンダムに理解がある方が良いでしょう。

 


友人は私が冗談を言っていると思い笑っていました。

 


しかし、数年後事件が起こりました。

 


友人も結婚してしばらくして、電話がかかって来ました。

 


やっと私が言っていた意味が解ったというのです。

 


友人はガンプラが趣味なのですが。

 


「またガンダムばっかり同じの買って来てる!」

と怒られたそうだ。

 


「いや、ガンダムはこれで、こっちはMK2でコレはνガンダムで別物だ」

と言ったそうだが、奥様には同じに見えるようだ。

 


結局、友人はνガンダムを残してガンダム系のガンプラを処分したそうだ。

 


しかし、顔つきの違うZガンダムは密かに生き残ったらしい。

 


私もガンダムコミックを集めているが、処分することになったら悲しいな。

 


理解のある妻で幸いです。

 


というわけで、私は時々ガンダムトークを妻にするのだが、妻はシャアが勝ったということを未だに認めてくれていない。

 


ジャブローではズゴックで負けたというのです。

 


しかし、アムロはシャアに「逃げられた」と思っています。

 


「逃げ切ってやったぜイェイ!」

とはシャアは言わないですが、逃げるが勝ち、三十六計逃げるにしかずという言葉もあります。

 


なにより、アムロ自身が精神的な敗北を認めているのです。

 


「これは事実なんだ!認めなくちゃいけないんだ!」

 


しかし、妻は納得がいかないようです。

 


ひょっとしたら私以外誰も認めていないのかもしれません。

 


うーむ。

 


それでも妻とガンダムの話がができるのは嬉しいことです。

 


共通の趣味やお互いの好きなものを理解し合うことは大切なことです。

 


これがニュータイプの革新に繋がるのです。

 


つづく

機動戦士ガンダムⅡ哀戦士編

第97回目は機動戦士ガンダムⅡ哀戦士編です。

f:id:kazuma_kazama:20200301002153j:image

出典Amazon.co.jp


1981年のアニメ映画です。

 


前回の続きで、ホワイトベースは南米ジャブローを目指していましたが、シャアの攻撃によって軌道を狂わされ、ジオン勢力圏の北米へと降り立ってしまいました。

 


辛くも脱出したホワイトベースですが、ジャブローには向かわず、ヨーロッパを目指すことになります。

 


次から次へと現れる強敵に、アムロたちホワイトベース乗組員は戦士として成長していきます。

 


先ず、序盤はランバ・ラルとの戦いです。

 


新型のモビルスーツ「グフ」は明らかにザクよりも強そうです。

 


モビルスーツのデザインが秀逸です。

 


新型が続々と出てきます。

 


ランバ・ラルとの戦いは重要な部分で、少年たちが敵から戦いを学び成長し、乗り越えるというシーンになります。

 


案外ランバ・ラルは父親的存在と言っていいほどだと思います。

 


モビルスーツ戦だけでなく、白兵戦や捕虜の扱いなどミリタリー色の強いストーリーになっています。

 

 

 

思春期のアムロが家出をしたりと当時の少年たちの共感を呼ぶような演出もあります。

 


メッセージ性の高い仕上がりになっています。

 


お次は重モビルスーツ「ドム」を駆る黒い三連星です。

 


ジェットストリームアタックという連携技を仕掛けてきます。

 


初めて観たときはそれはもう手に汗握る迫力でした。

 


ここでは大事な味方を失うという経験をします。

 


当時の私も少なからずショックを受けました。

 


劇場版はテレビシリーズを再編集して、追加カットを足してあります。

 


中でも大きな違いといえば、戦闘機Gファイターコアブースターに変更されています。

 


Gファイターはオモチャ感が高かったので、差し替えられたようです。

 


カットされたところではオデッサ作戦という大きな戦いがあったのですが、ほぼナレーションで終わります。

 


そこまでに、ガンダムが何度か絶体絶命の危機に陥るシーンがありました。

 


毎度ピンチのシーンがあるにはありますが。

 


意外にもガンダムを窮地に追い込んだのはマゼラトップという戦闘機でした。

 


他にも劇場版ではカットされていますがワッパというホバリングするバイクにもやられそうになります。

 


こういうところが、ただのロボットアニメでないところです。

 


成長がテーマの哀戦士編ですが、最も成長したのがカイ・シデンです。

 


お調子者で皮肉屋で文句ばかり言っている。

 


そんな印象ですが、実はカイが言うことは正論であったり核心をついていたりするのです。

 


カイの目線からガンダムを観ている人も多いと思います。

 


カイもまたもう1人の主人公と言っていいでしょう。

 


カイとミハルの物語まで、印象としては漠然とした戦いで、生きるための戦いとしか言いようがないのですが。

 


この辺りでジオンが倒さなければならない敵という認識が生まれて来ます。

 


このように最初は巻き込まれてしまっただけなのに、気づいたらいつの間にか自ら銃を取っている。

 


そんな戦争の恐ろしさも、かい間見えます。

 


さあ、ホワイトベースは無事にジャブローに辿り着くことが出来るのでしょうか。

 


是非、観てみて下さい。

 


君は生き延びることができるか?

 


つづく